大山街道を歩いて多摩川までたどり着いたら、そこは、川崎市高津区の二子新地、川のすぐそばに「岡本かの子文学碑」が立っている。
岡本かの子(1889-1939)は小説家で歌人、仏教研究家だ。彼女の作品は読んだことがないが、名前とかどういう人かについては、知識として知っている。
彼女の配偶者は漫画家の岡本一平であり、長男は、大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎(1911-1996)だ。
岡本かの子も岡本太郎も、ここ川崎市高津区二子で生れたということは知っていて、以前も一度来ている。
大山街道を歩いて多摩川までたどり着いたら、そこは、川崎市高津区の二子新地、川のすぐそばに「岡本かの子文学碑」が立っている。
岡本かの子(1889-1939)は小説家で歌人、仏教研究家だ。彼女の作品は読んだことがないが、名前とかどういう人かについては、知識として知っている。
彼女の配偶者は漫画家の岡本一平であり、長男は、大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎(1911-1996)だ。
岡本かの子も岡本太郎も、ここ川崎市高津区二子で生れたということは知っていて、以前も一度来ている。
日本中で、コロナ感染者数が減りそうにない。もし、GOTOキャンペーンで移動する人が増えて、そのせいで、観戦者数も増えているのだとすれば、政府は金とコロナをばらまいているようなものだ。
旅行関係の仕事をしている人たちのことを考えると、このキャンペーンもやむを得ないのかもしれないが、我が家は最初からGOTOキャンペーンなどまったく縁のない生活をしているので、もういいかげん止めて欲しいような気もしている。
10月末からの一時期、電車を使った遠出も数回したが、今は仕事以外に電車に乗ることもなく、今月は通院が何回かあったので、ついでに、少し遠くまで歩くという程度の外出をしただけだ。この間の土曜日は通院した病院の近くを少し歩いてきた。
かつて、江戸から大山の阿夫利神社へ詣でる人たちが利用したという大山街道だが、3ヶ月前にも行っている。今回は溝口から多摩川に向かって歩いてみた。
途中、小さな公園があったので、立ち寄ってみた。紅葉もきれいだったが、起伏のある緑地で、家族連れが何組がいて、子供たちが自由に飛び回っていた。公園の奥に行くと、そこは高津図書館だった。
それから、予想していなかったのだが、国木田独歩碑があった。後で調べて見たら、「忘れ得ぬ人」という小説の舞台になっているということだった。これから、青空文庫で読んでみようと思う。
多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中程に亀屋という旅人宿がある。この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。(国木田独歩「忘れ得ぬ人々」)
初冬といえば、家の近所でも、どこでも紅葉が目立つが、近所を歩いていると、紅葉や黄葉ばかりでなく、意外なことに皇帝ダリア、椿、山茶花、薔薇など、カラフルな色の花が咲いている。
コロナによる引きこもり生活もあるが、その上、仕事のない何とも言えないつらさも加わり、さらに12月は徐々に冬の寒さも厳しくなってきて、ますます閉じ込められたようなやりきれない気分になる。
だけど、だからこそ、できるだけ、体をあちこち歩き回って、体を温めながら、自然の花や鳥や月を愛でながら、いろいろなものに目を向けていきたいし、また小さなことでも、前向きに捉えて暮らしていきたいと思う。
このごろ出かけるというと、自分の通院や母の通院の付き添い、それから買い物というのがほとんどだけど、たまたま経由地が病院だという散歩であって、自然を見に出かけるんだと考えるようにして、きれいな紅葉や道ばたの花などを見付けて喜んでいる。
東京でコロナの感染者数が増え続けているせいで、来週からの仕事がまたなくなり、年内は暇になった。このごろ、寒さのせいもあって、数少ない仕事と通院以外あまり外出しなくなった。
今年も残り20日、寒さはますます厳しくなってきた。ここ数日、雨は降らないものの、毎日、雲に覆われた陰鬱な空が広がっている。この雲に閉じ込められたような薄暗い週末になりそうだ。
ところで、天気予報によると、今、寒気が南下してきているそうだ。窓から見える近くの小さな山が赤く染まっているが、もうそろそろ、紅葉も散り落ちてしまうかもしれない。
さて、コロナはそう簡単に収束してくれそうにない。今後も、仕事がなければ、引きこもり生活が続きそうだ。目の前が明るくなるような景色を見にどこかへ行きたい気分になる。
菅野投手がメジャーリーグを目指すというニュースで思い出したことがある。今は亡き義理の父のことだ。彼はアンチジャイアンツだった。いつも、ジャイアンツが負けるのを楽しみに、テレビを見ていた。負けたら、「おい、ジャイアンツが負けたぞ!」とニコニコしながら、ぼくに報告してくる。ぼくもあまりジャイアンツが好きじゃないので、「よかったですね!」と答えていた。
今年はジャイアンツが強かった。今も生きていたら、きっと、「面白くない」と言って、テレビも見なくなったに違いない。日本シリーズはジャイアンツとソフトバンクだったが、もしかしたら、大喜びで見たかもしれない。なぜなら、ソフトバンクもジャイアンツと同じくらいに嫌いだったからだ。どっちが負けても、喜んだだろう。
義父が嫌いなのはジャイアンツという球団だったが、所属する選手も大嫌いだった。例えば、広島の丸選手は好きだが、ジャイアンツの丸選手は嫌いというようなものだ。ライオンズの元選手、清原氏も同じだ。ライオンズの彼は好きだったが、ジャイアンツの彼は嫌いだった。
さて、冒頭の話題だが、菅野投手と言えば、わがまま言ってジャイアンツに入った選手だ。義父はそういう選手がいちばん嫌いだった。その選手がメジャーに行くという。行けば、義父は彼を嫌好きになるかも知れない。結局、「坊主憎ければ袈裟まで憎い」ということだ。ほぼ偏見だ。ある国が嫌いなら、その国のすべての人が嫌いになるようなものだ。ただ、スポーツの話だから、許してもらいたい。