日本には立秋前の夏の土用の丑の日に鰻を食べる風習があるらしいけど、それは誰かが商売人のために考案したという話だ。だが、そんなことはぼくにはどうでもいい。ただ、そんな習慣がないだけだ。あんな高価なものは食べるものではないと思っている。
ただし、百円寿司に行って、鰻がのっていると、つい皿を取ってしまう。最近魚の値段が高くなっていて、鮭一切れが150円ぐらいになっている。そう思うと、百円寿司はありがたい。
今日もスーパーに行ったのだが、やはり鰻の蒲焼が目立つ所に置いてあって、商売人の売ろうという気持ちが感じられる。見ようとせずとも、つい値段が目に入る。1980円!商売上手に乗せられたくはない。やはり見なかったことにする。
今日は、パンなどを買いに行ったのだが、切れているウィスキーを鰻の蒲焼きと同じぐらいの値段で買い、ついでに100円のパンとかを買ってから、イートインコーナーへ行き、自動販売機で買ったコーヒーを飲みながら休憩。ぼくにとってのスーパーとはそういうところだ。
ぼろぼろに履き古されて小川の底に沈んでいる靴、
人もものも含めて使い古され、忘れ去られるもの、
あらゆるものと人の哀愁が浮かんでいる。
久しぶりの青空の下、
電線の上の鳥が興奮しているのか、
羽根を広げて何かを主張している。
恋の季節なのだろうか!
それとも、
地球環境の悪化に抗議しているのだろうか!
「声は聞こえども姿は見えず」とはよく耳にする言葉だが、今頃の蝉はまさにその通りで、その姿を捉えることはなかなか難しい。今日散策中、ふと見上げた木に蝉を見つけた。樹木の模様とほぼ同じだ。なるほど、これじゃ見分けるのが難しいのも納得だ。
夕方6時頃には、家の近くにある小山からミーンミーンという声に交じって、カナカナも聞こえた。さらに、ジージーという声も時折聞こえた。街路樹の下を歩くと、まさに蝉時雨という感じがした。降り注ぐ蝉の声の下、歩道を歩きながら、30度の真夏日はすでに来ているのだなと実感する。
気象庁は関東甲信はまだ梅雨明けしていないという。だけど、気候はすでに真夏日が続いている。夜は熱帯夜が続いている。少し前には春だと思っていた。それが梅雨になり、ふいに真夏日が訪れる。季節は世間の思惑とは違って、勝手に推移しているようだ。