日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

人生の楽しみ

人生の楽しみはいたるところにある。

だが、わたしの母はすべてを見逃して、人生はおもしろくないという。

わたしにとってこれが一番悲しいことだ。


人生にはいたるところにチャンスがある。

だが、私の教える学生たちは、チャンスを見逃して、チャンスがないという。

わたしは教師としてこれがもっとも残念なことだ。


人生において学べることは至るところにある。

友を選ばず、多くの人に接すればそれだけ学ぶことは多い。

だが、わたしはこれが苦手だ。

人と接することが大の苦手なのだ。


人は多くの人生の楽しみをつかみ損ねていると思う。

人は多くのチャンスをつかめるのにつかみ損ねている。

積極的にならなければならない。

いや貪欲に知識を出会いを追い求めるべきだ。


若さはその意味で財産だ。

参院選!

わたしは正直に言おう!

平和憲法は世界に誇るべき憲法だ。これを変えることについては反対だ。


アベノミクスは経済を進めると言いながら、庶民の生活は苦しくなっている。実際、私の母の年金は減りつつあり、私の給料は増えないのに、健康保険料が増えている。生活はぎりぎりだ。ただ、毎日、節約生活を続けている結果、困窮しているわけではない。ただ贅沢は敵だという生活だ。それでも、聞けば、貧しい子供や高齢者が増えているという現状がある。それでも今の政府は大企業優先の政治を行っている。


自民党はこれまで、憲法を変えて、自衛隊ではなく軍隊、あるいは国防軍を作りたがっている。それは知っている。それと常に大企業優先の政策だ。庶民は頭にない。かつての麻生首相は500円のカップラーメンを見て、「安いね!」といったそうだ。わたしは100円以上のカップラーメンなんて買ったことがないのに。


今回の選挙で、困ったのはわたしが好む中道派の民進党が共産党と結びついたことだ。共産党は庶民の味方だが、みんなでいっしょに貧乏になろうという党だ。中国共産党もすでに名ばかりになり、真の共産主義を放棄している。もし、本気で共産主義を実践したら、おそろしい。


一方、与党でおそろしいのは宗教が作った公明党だ。もしものことだが、公明党が単独で政権を握って、創価学会の人たちだけで、政府を作るなんてことになったら、考えるだに恐ろしい。自民党にしても同じだ。今の内閣のほとんどが神道に偏った人たちだそうだ。すでに恐ろしい事態になっているのだ。


いったいこの国で宗教から自由な政治家はいるのだろうか。誰に投票すればいいのだろうか。悩んでいるうちに、誰にも投票できないと思った。いや、それでも何かを変えてくれる人がいるのではないか。


唯一つ、民主主義の立場に立った人を選んで投票するほかない。そうして選んだ人が間違っていたのかもしれないが、それでも投票できることが大切なのだと思って投票した。

困っても困らない

わたしは今困っている。どうしたらいいのか、どうしようもないと。
そんな時、松下幸之助の『道』の中の文章「困っても困らない」を読んだ。
全文引用する。


「ひろい世間である。長い人生である。その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。
 そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かが決まるといえる。困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、心が次第にせまくなり、せっかく出る知恵も出なくなる。今まで楽々と考えておったことでも、それがなかなか思いつかなくなってくるのである。とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける。
 断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。困難を困難とせず、思いを新たに、決意を固く歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。要は考え方である。決意である。困っても困らないことである。
 人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。」


 これは座右のことばになる。そう思った。


 だが、今、もう一つ思うことがある。与党党首のことばだ。彼はどんなに「困っても困らない」。いつも「困難を困難とせず、思いを新たに、決意を固く」前へ進もうとしているように見える。あの人の信念は固いと思った。反対でも賛成でもなく、ただそう思った。


理想!

選挙が近づいてきた。

理想を追い求める人に投票したいと思うが、誰にと思うと、戸惑ってしまう。

理想を追求する人というのは珍しい。


たとえば、昔、教師をしていた時、

事務員に質問された。

「先生はどうして大学に行ったのですか」

「勉強するためです」と答えた時の相手のことばが今も忘れられない。

「嘘言わないでください。今時、勉強するために大学に行く人はいませんよ。」

本当だと言っても信じてくれなかった。


今、外国人学生に教えているが、学生たちが本気で学んでいる姿に共感を覚えている。

その一方で失望することが多くある。

先生たちの言葉だ。

「今日はあの学生が寝てて、授業がやりやすかった」とか「あの子がいなかったから、よかった」とか。


理想を捨てた人たちが日本語教師をしていると思われる。


思えば、高校教師もそうだ。理想は何?数字を残すことじゃないはずだ。数字が一番大事になった教師なんて、ただのビジネスマンだ。政治家や教師というのはサラリーマンとは違う。


理想!これは絶対に捨ててはならない言葉だ。理想のない人は政治家であれ、教師であれ、家庭人であれ、失格だ。わたしは今もそれを信じている。だから、真に理想を求める政治家、教育者の出現を求めている。


両忘

生死、貧富、善悪、愛憎、貧富など、世の中には対立することばがいっぱいある。


貧しいのは嫌いだ、金持がいい。この人は好きだが、あいつは嫌いだとか。この人はきれいだが、あいつは醜いとか。その結果、生きることをつらく思うこともある。この仕事、あの人としたくないとか。喜びと悲しみとを同時に感じることもある。


だが、考えてみれば、そういうプラスとマイナスは知らぬ間にしまっているだけ。実は違うのかもしれない。例えば、わたしはある一面で嫌われているかもしれない、ある一面で好かれているかもしれない。だが、わたしの本質は変わらない。それなのに、それを全部、嫌いとか好きとか言われてもどうにもできない。ということだ。


「両忘」


実は、その時、この言葉に出会った。そして、どちらか一方に決めてはいけないのではないかと思った。そもそも私の見ているのは一面に過ぎないのではないか。考えてみれば、その人には素晴らしい面があるのではないか。そう考えるようになった。そう、その人の本質を見るべきだと思ったのだ。


本当にいい言葉だ。どっちか一方に決めてしまうのは人間の愚かさだ。どっちか一方であってほしいというのが人間の愚かさだ。勧善懲悪の思想がどこかにある。ブラックかホワイトか決めたいのだ。だが、実質はそうではない。そのものの持っている本質を見れば、白黒決めることはできないのだ。好き嫌いでは片づけられないのだと気づかされた。どちらか一つに決めることを忘れなければならないのだ。


「両忘」


言葉との出会いはいい。一つの成長を促されたような気がした。