毎月、同じような月を紹介しているが、ぼくは月を見るのが大好きだ。そのため、倍率の大きなカメラを買った。昨晩は半月で、上弦の月だった。
横浜へ母と出かけて、家に帰ってから、月を眺めていた。10時半頃、月は西の空に消えて行った。おそらく雲の中に消えたようだが、これが旧暦十月上弦の月の月没だ。
現代において、変わるものは多いけれど、月は太古の時代から変わらない。
二子玉川の高島屋デパートに行ってみた。デパートと名のつくところは最近ほとんど行っていない。行くとすれば、母がお中元とお歳暮を贈るときについて行く、あるいは休憩のために行く程度だ。
高島屋をちょっと覗いて、驚いた。ちょっとしたブレザーが数万円、バッグや時計は数十万円、値段を見て、すごすごと通り過ぎる。庶民には縁のないところだ。
今、デパートはどういう役割をしているのだろうか。庶民には縁のない店で生き残れるのだろうか。近頃いくつかのデパートが店を閉じた子とを考えると、そろそろ考え方を変えなければならないのではないだろうか。
そう思っていた矢先、この高島屋を見て、少し目から鱗のような感触を得た。スタバが中にあり、お客がいっぱいだった。もしかしたら、買い物よりコーヒーを飲みに来た客も多いのではないだろうかと思ったのだ。
それにこの庭園、子供達が大勢遊んでいた。空中庭園で子どもを遊ばせることを目的に来る親たちも多いのではないだろうか。また屋上からの眺めを楽しみに来る客も多いのではないだろうか。そう思うと、デパートにも生き残る手段がある。
市民の憩いの場として、同時にちょっとした買い物に来る人たちを増やせばいいのだ。ただ、ぼくはここで買い物などできそうにないし、食事も高すぎて無理だ。それでも、ここで休むことができればいい。そのうち、ちょっと高いものを清水の舞台から飛び降りたつもりで買うかも知れない。
多摩川の流れを望み、天気のいい日には富士山を遠望できる駅、河原に下りれば、鉄橋を走る電車を眺めることができる、ここへ来ると、知らず、鉄道マニアになった気分になる。
たまプラーザ駅の前に人だかりができていた。コンサートをやっている。駅前の桜並木にはイルミネーションが輝いていた。クリスマスモードに入ったのだろうか。ちょっと早すぎるけど、要するに年末モードというべきか、漢字で書けば電飾の季節が来たということか。
夕暮れ時の二子玉川駅周辺!
この間の大雨の影響がまだ残っている。
流されてきたものが堆積している。
それでも、美しい多摩川。
万葉の時代から蕩々と流れ続けている。