買い物に行く途中の道、コロナのせいか、どこもかしこも灰色のよどんだ空気に包まれていて、時折、老人たちとすれちがう。
灰色の空と枯れ木の世界には、小鳥はおろか、カラスさえも見えない。
帰り道、銀杏の並木の上から、かわいらしい小鳥の声が聞こえてきた。見上げると、高い銀杏の枯れ木の上、一羽の小鳥の姿。仲間を呼んでいるのか、一羽の鳥がほとんど動かず、鳴いている。
今、仕事をなくした人たちも泣いている。真に賢い人たちは嘆いている。ただひたすらに世界の安穏を祈るほかない。
一昨日、公園で見たドングリ、ドングリは秋の季語。季節がわからない。
今日は薄暗く、気温は一気に下がりった。今年初めて厚手のコートで散歩に出た。
今日の空、晩秋から冬に向かう頃のようだ。灰色の空の下、出歩く人は少ない。
団地の中も近くの町も春のにぎやかさが感じられない。寒い寒い週末だ。
水曜日から昨日まで忙しかった。忘れていたが、5日は啓蟄だった。冬ごもりしていた虫たちが活動を再開するころだ。
コロナウィルスのせいで、三月はもう仕事がない。四月はどうなることか。コロナウィルスなんか関係ないという人もいるが、ぼくには死活問題だ。
さて、啓蟄は過ぎたが、ぼくはこれから冬ごもりだ。
<東京の空>
5日の午後、新宿の町を歩いていたら、木々の上から、小鳥の鳴き声が降り注いできた。見上げると、かなり多くの小鳥が木と木の間を飛び交い、うるさいほどに鳴き騒いでいた。
ふと見ると、木の枝の間に、弦を下にして中天に向かって昇っていく月が見えた。この月は、夕方になると、弦を左に、深夜には上にして、沈む上弦の月だ。
年月の流れは早いものだ。旧正月からもうすぐ一月半になる。西行法師が詠んだあの「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」の如月の望月だ。
花も次第に色づいている。小鳥たちも木々の中で賑やかにさえずっている。春らしさが少しずつ前進と後退を繰返しながら、まさに三寒四温で近づいてきている。
世界中を騒がせているウィルス禍が収まり、穏やかで華やいだ春の早く来たらんことをただひたすらに願っている。
母は日に日にボケている。
近所のボケの花が開き始めている。
母の症状が重くならないことを祈りながら、花を愛でながら日々散歩している。
人生なんてこんなものだ。