日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

月見れば・・・

 旧暦で見ると、きのうは9月15日。月齢は14.1日。秋の澄んだ夜空に丸い月がきれいに見えた。月を見ると、遠くにいる人も同じ月を見ているのかなと思う。秋の涼しさも加わって、しみじみとした気持ちにもなる。


 古代からこういう気持ちは変わらないようで、『古今和歌集』に、いろいろと詠まれている。中でも好きな歌と言えば、一ヶ月前(9月17日)にもこの日記に書いた、阿倍仲麻呂の歌だ。


  天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも


 遣唐使といっしょに、中国に渡り、科挙にも合格し、活躍したという阿倍仲麻呂。彼が日本へ帰国する際、宴で詠んだとされているが、彼はそのまま中国にとどまり、帰国することはなかったという。歌の意味は「大空を見上げると、丸くて美しい月が見える。故郷の春日にある三笠山に昇る月と同じなのかな」というものだ。今日本にいる中国人留学生がこの歌を見たら、共感するものがあるのではないだろうか。


 古今和歌集で次に好きなのが、大江千里の歌だ。


  月見れば千々ものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど


「秋の月を見ていると、あれやこれやと物悲しい気持ちになるものだ。私一人だけの秋ではないけれど」という。そう、地球上に住む人たちすべての月だ。世界で戦争をしている人たちにとっても同じ月なのかもしれない。ただし、これは四季のはっきりしている日本でこそ感じるものなかもしれない。



 また、在原業平の歌もいい。


  月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして


 「この月だけではない。月も春も昔のものではない。昔のものとは何かが違っているように思う。私自身は昔のままなのに!」というものだ。今、わたしの場合は逆だ。


  月やあらぬ春や昔の春のままわが身一つは元の身ならず(愚作)


 月だけではない、春の桜を見ても、昔のままなのに、私自身は気持ちも環境もすべて変わったなと思う。


 読み人知らずの恋の歌にもいいのがある。


  月夜よし夜(よ)よしと人に告げやらば来てふに似たり待たずしもあらず


 「月夜がきれいだと好きな人に告げたら、ここへきて一緒に見ませんかと誘っているようだ。だから、そんなことはしない。だけど、やっぱり来てほしい気持ちはある」と、微妙な恋心を詠んだものだ。普遍的にして微妙な恋心だ。


 ところで、今日、10月16日は旧暦で9月16日、月齢は15.1日、満月だ。天気予報によると、夜は曇りだが、移りゆく雲と雲の間にまん丸な月が顔を出してくれることを願っている。

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