日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

蒲焼!

今年は7月25日と8月6日が土用の丑の日だそうだ。
この日はウナギの蒲焼などを食べるのが習慣だそうだが、
ウナギの蒲焼はなかなか手が出ない。
先日、秋刀魚の蒲焼が安い値段で売っていた。
思わず買って帰った。
味はというと、
ウナギの蒲焼を食べたことがないので、比較はできないが、
これで十分だと思う。

人はその地位や立場によって、発言が変わる。

 人はその地位や立場によって、発言が変わる。
 かつて、公立高校教員だった時、尊敬する教務主任がいた。その彼が、別の高校に校長として転勤した後、その高校の教員に「お宅の校長はどう?」と聞くと、驚いたことに、「最悪だよ!」という返事が返ってきた。
 ぼく自身、平だった時、しばしば管理職を批判していたが、中間管理職になったとたんに、人間が変わったと他の人に言われたことがある。自分では変わっていないつもりだったが、批判は鋭かった。
 今、国会で前の文科省事務次官、前川喜平氏が「行政はゆがめられた」と言っているが、なぜ、現職の時にそれを言わなかったのかと批判されている。だが、それも止むを言えないだろう。
 ぼくは今、公立高校の矛盾を知っている。多くの校長が最後の勤務先を気にしている。それによって天下り先が決まるからだ。そんなこと、現職の時は、はっきり言えないものだ。辞めた後で言うのは卑怯だという意見もある。その通りだと思う面もあるから、なかなか多くは言えないでいる。
 だが、国政となれば、教育界とは規模が違う。現職だろうが、退職者だろうが、言うべきことは言うべきだ。そうしなければ、国が歪んでしまう。もちろん教育も同様だ。言うべきことはいつだって言わなければならない。だが多くは語れないというのが本音だ。矛盾している。

アガパンサス!


四方に向けて花を開くアガパンサス、別名紫君紫蘭!
団地の数か所で花開いている。
花言葉は恋の季節、恋の訪れ、ラブレターなどだが、
この上品な青紫色が四方に向けて花開いているのを見ると、
あらゆる人に対する平等ということを感じる。
誰の心の中にもあるはずの「善」を四方に配る。
そう思うと、
この花を見るだけで、少し心持ちが安らかになる。

台風と梅雨の間の満月!

満月を毎月、見るのはいいことだと思う。
月を見ながら、栄枯盛衰の人の営みを感じる。
だが、この数日、台風や九州の豪雨ばかりを気にかけて、
満月のことを忘れていた。
上の写真は二日前の13日の月?
下の写真は昨日の14日の月?
今日9日の月は見えなくたって満月。
ふと遠くにいる会いたい人のことを思ってしまう満月。

ヘッドホン

 テレビで、九州の沖ノ島と宗像の神社など8点が世界遺産に決まったというニュースをやっていた。国際会議場で、スピーチする人、拍手する人たちの映像が流れていた。めでたいことだ。福岡の人たちにはおめでとうと言いたい。

 ところが、この時、いっしょに見ていた母が、奇妙なことを話し始めた。ついさっき買い物に行ってきた時の話だ。「団地のエレベーターに乗ったら、男の人が中にいたから、同じ団地の人だと思って、『こんにちは!』って挨拶したんだけど、相手の男性から何の返事もなかったの。その人、今、テレビに出てきた会議の人たちが頭に着けているのと同じものをしていたの。あれ、名前、何ていうの?」

 ヘッドホン(ヘッドフォン)だと答えたら、さらに聞いてきた。「あれをつけていたら、外の音は何も聞こえないの?」どうやら、これが聞きたかったのだ。そして、さらに聞いてきた。「会議の人たち、何であんなものをしているの?」あれは通訳を聞くため。エレベーターの人はたぶん音楽を聴くためと説明しながら、母は何も知らないんだと、いや知っていたかもしれないが、忘れているんだ。

 それは仕方ないとして、エレベーターの人は失礼だ。挨拶もしない。電車やバスの中でもそうだが、ヘッドホンをして自分の世界に引きこもっているだろう。まわりで何が起きているかを知ろうとも考えようとも、見まわそうともしない。時には音漏れして、周りに迷惑をかけていることもある。そんなの関係ないのか。

 ヘッドホンをして道を歩く、自転車を運転する、いろいろな人がいるが、これは危ない。例えば、車の走る音、クラクション、自転車のチャリンという音など、道路上では重要な情報は耳から入ることが多い。それだけではない。もし視覚障碍者が歩いていても、カチカチというあの音など全く聞こえないだろう。困っている人がいても関係ない、重要なのは音楽か何かを聞いている自分だけだ。

 もっとひどいのがいる。かつて、学校へ勉強に来てるはずの学生が、何と授業中にヘッドホンあるいはイヤホンをしていたという話を聞いたことがあった。それが、最近、自分も実際に目にしてしまった。何をしに来た。音楽聞くなら家で聞け!と怒鳴りながら、自分の授業がおもしろくないんだろう!と反省もした。近い将来、イヤホンとスマホがなければ生きていけないなどという人が出てくるかもしれない。