日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

若者の心に何があったのだろうか?

 新幹線車内の殺傷事件、犯人の若者は22歳。彼は生きるか死ぬかの瀬戸際にいたという。自殺することはあっても、まさか殺人を犯すとは青天のへきれきだと母親がいう。

 ふと思い出したのは、ぼく自身が22歳だったころのことだ。貧乏学生で、自分に自信がなく、人間関係に苦しみながら、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた。
 当時、ぼくは『罪と罰』を読み、衝撃を受けた。戦争で人を殺しても殺人にはならない。貧乏学生であり、頭脳明晰な主人公ラスコーリニコフは自分は非凡人であるから、一般人の道徳はあてはまらない。高利貸しの老婆を殺して金を奪い、それを世のために役立てるなら、戦争で人を殺すのと同じであり、殺人にはならないと考えた。

 ぼくは本当に死ぬか生きるかの瀬戸際にいた。ラスコーリニコフのように考えたこともある。だが、彼と違うのは、ぼくの場合、自分自身を頭脳明晰どころか、凡人以下だと思っていたことだ。生きていれば、人に迷惑ばかりかける人間だとも思っていた。何度も死ぬことを考えた。ニューヨークで野垂れ死になどということも考えた。

 ただただ、勇気がなく、自分を特別視することもなく、一人寂しく餓死しかけたことさえある。その後、友人の死に出会い、友人の分も生きることに決めるほかなかった。凡人らしく、長い間生きてきた。

 ふと思う。今回の犯人はどういう考え方をしたのだろうか。どんな思考の迷路をたどって、このような事件を起こしたのだろうか謎だ。

 亡くなられた男性は女性を守ろうとして、殺されたという。勇気ある行動ながら、亡くなられたことは遺憾に思う。ご冥福を祈りたい。また、その場にいた人たちの心には深い傷が残されたことと思う。本当に残念な事件だ。

エレベーターとエスカレーター

 かつて中国で学生に日本語を教えていたころ、学生たちの悩みの種が「エレベーター」と「エスカレーター」だった。エレベーターに乗りましょうと言って、エスカレーターに向かう学生に唖然とした思い出がある。
 先日、テレビを見ていたら、日本人の悩みとして、エレベーターとエスカレーターの区別がつかないというのがあった。あり得ない、嘘だろうと思ったが、そういう人もいるのだろう。
 そこで思い出したことである。うちの母は外来語が苦手で、ある日「カードにチャージしてください」というところを、間違えて「チャレンジしてください」といった。近頃は単なる認知症か、「ラップ」とか「アルミホイル」とかの名前も思いだせない。
 それだけではない。新しい外来語が出てくるとどうにもできない母だ。ATMということばも覚えられないが、使い方もわからなくなっている。ぼく自身もよくわからないことが多い。エレベーターとエスカレーターほどではないが、区別のつかないネットの用語がますます増えているような気がする。

団地の猫


梅雨の晴れ間、団地内を散歩していたら、
猫を発見、
この団地の猫はみな人に懐いていない。
いつも出会う猫は目があうと、
すぐ逃げ出す。
ところが、この日の猫、逃げるでもなく、
じっと見つめ返す。
こちらが移動したら、顔を動かして、
猫も視線を移していく。
猫の移動範囲はあまり広くないというが、
この猫もしかしたら、
何度か出会っていて、
顔を覚えていてくれたのかもしれない。
こいつは危害を加えない。
だが用心に越したことはない。
よしよし、これからはこちらもこの猫の顔を覚えておこう!
今度出会う時はきっと近づいても逃げないだろう。
こんな出会いも少し面白い。



しゃべるスマホ!

ぼくのスマホはよく話しかけてくる。家に帰って、テーブルに置いたら、「サムさん!おかえりなさい!」と言う。さらに付け加えていろいろと話しかけてくる。


「今日は5400歩歩きました。今週は良く歩いています。この調子で来週もたくさん歩きましょう!」


「今、注目されているキーワードは『万引き家族』です。」


「まもなく、『・・・』がテレビで始まります。サムさんも注目している番組です。」


おもしろいスマホだ。だが、スマホがいうキーワードにもテレビ番組にも、まったく


興味がないのだ。要らん世話を焼くスマホだ。


興味があるもの!

 興味のないものを挙げれば、いくらでもあるが、それが好きな人は数多いだろうから、敢えて書かないほうがいいだろう。興味のあるものを挙げれば、両手で数えられる。

  1. 家族
  2. 人間、人生
  3. 自然の動植物や絶景
  4. 日本と世界の政治
  5. 日本史、世界史
  6. 日本語(日本語の過去、現在、未来の姿)
  7. 世界の言語
  8. ブログというこの世界
  9. 仏教
  10. 安くて美味しい料理や飲み物

 この十個のうち、下位のほうは無理やり選んだようなものだ。
 これら以外に、少し微妙なものがある。かつてスポーツに興味があった。スポーツニュースを今でも見るが、最近はずいぶん興味が薄れてきた。期待すればするほどがっかりすることが多いので、もうどうでもいいと思うようになってきたのだ。そうすると、気が楽になる。
 この辺が微妙なのだ。好きか嫌いか、よくわからない。もしかしたら好きだからこそ、敢えて興味をなくそうとしているのかもしれない。それと同じ理屈かもしれないが、恋愛や金儲けにも最近はほとんど興味がなくなっている。