日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

高齢者の運転!

 高齢者が運転する車が事故を起こして若者の命を奪うという事件が続いている。中には認知症の人もいた。ブレーキを踏んだつもりでアクセルを踏んだとか、その時のことを全然覚えていないとか、そのまま壁に激突して、いびきをかき始めたとか、恐ろしい話だ。


 若者が違法薬物で頭がおかしくなって暴走させたとか、スピードを争って走らせて、人をはねた事故もあった。もしかしたら、事故を起こしたくて起こした奴もいるとか。自動車というのは便利な交通手段であると同時に、突然武器にもなるもの。誰でもが持つのは問題だ。


 判断の鈍った高齢者の運転、認知症の人の運転、それに薬物中毒者の運転、精神疾患のある人の運転はやめさせるための何か規制が必要だ。免許制度の改定が必要だろう。厳しい審査を経て免許を撮れるような制度を作るべきだ。テレビで見たが、高齢者の運転で子供を奪われた家族が、高齢者の免許更新は一年にしてほしいと言っていたが、その通りだと思う。


 わたしは免許を持っているが、最近は運転していない。数年前、中国に渡る前まで運転していたが、帰国後は東京近郊に住んで、車の必要性も感じなくなった。以前はドライブが大好きで、よく長時間運転していた。ただそのたびに腰痛がひどく、1時間も運転すると、痛みに耐えかねて、車を降り、休憩していた。今は、腰痛がさらに悪化し、とてもドライブなどできる状態ではない。


 今、わたしの運転免許証は身分証明書代わりだ。これまで、いざという時、どうしても運転しなければならない時は運転するつもりで持っていたが、最近のニュースを見るにつけ、車は怖いと思った。ペーパードライバーの運転も怖い。やはり、運転を控えるべきだ。そう、やはり、いざというときも運転しないほうがいいかもしれない、やはり返納すべきだと思い始めた。

記憶の引き出し

 記憶の引き出しというのがあるとすると、それはいくつあるのだろうか、人によって違うだろうが、ぼくの場合、一つしかないように思う。たくさんある人は仕事用引き出し、家庭用引き出し、交際用引き出し、個人用引き出しなどというのがあるに違いない。


 ぼくの場合どうかと考えてみた。仕事用の引き出しがあっても、そこに別の記憶しなければならない時、いつの間にか、仕事の記憶が消えたり、家庭のために覚えておかなければならないことが、また消えてしまったりする。やはり、ぼくの場合は一つしかないように思う。


 一つの引き出しの中は仕事、家庭、友人、個人などと仕切られていて、それぞれが狭く、時々、仕事が増えた時はその記憶が他の仕切りの中にあふれてしまう。そして、少し混乱してしまうのだ。今日も一つ入ってきて、一つ出ていったため、今日しなければならないことをしなかった。


 クリアファイルもそうだ。仕事がいくつかあって、二つの学校で働いていて、それぞれ2クラスに出ている。今、4つのクリアファイルを用意していて、それぞれ資料などを入れてあるが、時々、混乱する。あの書類はどこかなと探してみると、別のクラスのファイルに入っていたりする。


 はじめに記憶の引き出しと言ったが、どうやら、ぼくの記憶は薄っぺらなクリアファイルのようなものに納められているのだろう。そして書類と同じように記憶が消えたりする。大きな机と引き出しがほしいと切に願う。もしだめなら、整理上手になりたいと思う。だが、それもどうしようもないようなものなのだろう。
 


 





なりたい大人の男

 「どんな大人の男になりたいか」という質問があったとする。


 すぐ頭に浮かぶのは、阿部寛、風間トオル、北大路欣也、小林稔侍、佐藤浩市、田中健、田村正和、地井武男、中井貴一、仲村トオル、中村梅雀、松平健、松田優作、役所広司、渡瀬恒彦、渡辺謙等などの名前だ。


 では、今、自分はどんな大人の男かと考えたら、もちろん容姿抜きに考えても、ひどく物足りない気がする。なりたい大人の男に近づこうという努力もしていないように思う。努力なしに前に進むことはできないし、仕事も人生もうまくいかないだろう。


 こんなことを考え始めたきっかけはアメリカの次期大統領トランプ氏の経歴をテレビで見たことだ。ここまで発奮して階段を上り詰めた原動力は何かと考えた。それは自身を理想とする自分に近づけたようと努力したことだったと思う。彼はハンサムでもないし、いい性格でもない。それでも、ここまで上り詰めたのだ。


 そんな彼とぼくは遠い存在だし、能力的に見ても差が大きい。それに、トランプ氏は大嫌いだ。それでも、自分の願う「なりたい大人の男」になったトランプ氏を見て、思った。少しでも努力をしなければということを。そうすれば、前が少しは明るくなるように感じたのだ。

見えないスーパームーン!

 14日、あいにくの雨のため、スーパームーンは見られなかった。だが、スーパームーンは間違いなく存在する。


 どこかで聞いた言葉だが、たとえば、月は満ち欠けする。その月の様子を、我々の目に見えた状態から、三日月だとか半月だとか満月だと称する。だが、丸い球体の月は間違いなく存在するのだ。


 人間は見えたものしか、存在を認めない。知らない世界、見たことのない世界は、存在しないと同様なのだ。だからこそ、テレビや、ネットを通して、知らない世界の存在を知る。そうして見えないものの存在を知る。しかし、その存在を認めるかどうかはやはり、見たことのないものは、遠い世界だ。
 
 見えないもの、見たことのないものの存在を知ること、認めることが自らの世界を広げるために必要だ。


 そういう時思い出すのは金子みすゞの「星とタンポポ」だ。



星とたんぽぽ


 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。


 ちってすがれたたんぽぽの、
 かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、
 つよいその根はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

スーパームーン

 明日は月が地球に最も近くなって、巨大な月が見られるという。だが、問題は天気だ。明日の天気が心配だ。
 今日の月でも既に大きいというのを聞いたので、さっそく写真に撮ってみた。


2016年11月14日午前0時半ごろの月!