日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

名利共休

禅の用語に「名利共休」という言葉がある。

名誉と利益を共に求める人たちへの提言だ。

そして私への励ましの言葉だ。

名誉も利益も共に休め。止めよと提言している。


名誉と利益を求めた愚かな都知事、

彼ばかりではない、多くの為政者たち名誉と金に執着した。

考えてほしい!

何をいちばん求めるかと聞かれれば、ただ周りの人々の幸せ。

知事ならば、都民の幸せのはずだ。


己に関して求めるものは「知足」。

今の自分の生活が十分ならばそれでいい。

これ以上の金も地位もほしくない。

自己の幸せ、利益と地位に執着した愚かな人物を哀れに思う。

人間らしく煩悩に迷わされた人間を哀れに思う。

我唯知足

十代のころ、京都の竜安寺で下のような「手水鉢(ちょうずばち)」だったか「つくばい」を見た。





 五
矢▢隹
 止


はじめは何と読むのかわからなかったが、何と「吾唯知足」という中国語で、訓読みすると、「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」と読み、欲張るのはいけない、今ある幸せで満足しなければならないということだと知った。


名誉や利益というものは誰もがほしいもの、だがこれを追い求めればきりがない。部長になれば社長になりたくなる。1億円あれば、2億円ほしくなる。そういうことを求めずに、今の地位、財産を十分に喜んで満足すべきだ。


わたしの収入は贅沢はできず、何とか生活できる程度だ。それでいいのだ。わたしは妻と別れ、今、年老いた母と暮らしている。体の弱った母を幸せにすることに専念している。


愛や恋にはもう飽きた。豪邸も要らない。今必要なのは、最低限の幸せだ。デパートへ十年来行ったことがない。うそだ、デパートの入り口に入って、椅子に座り、雰囲気を味わっては出ていく。買い物はしない。いつもスーパーの特売を利用する。


例えば、肉は百グラム百円以下のものしか買わない。酒は好きだが、1リットル千円以下のものしか飲まない。


おいしい店があるといっても、外食するのは、人ととの付き合いのときだけ、仮に外食するとしたら1食5百円前後のものしか食べない。


年収は200万円以下だが、これで十分だ。年収何十億円ももらっている人たち、あるいは数百万円もらっている人たちとくらべたら、なんだか劣等感を感じることもない。彼らは彼らなりの生活をすればいい、今は少しずつ貯金しながら、つつましく生活する、そして親孝行できれば、最高の幸せだ。


「吾唯知足」これこそ、わが人生の最大の教訓だ。

参院選

参院選挙が公示された。


今回の選挙は高校生でも18歳以上なら、投票できるということ、新しい選挙区制度にもなった。いろいろあるが、もっとも違うこと、民進党と共産党が共同で候補を立てていることだ。
これは困ったことだ。自民党が嫌い、共産党が嫌いな人はどこへ投票すればいいのだろうか。弱者いじめ、大企業を優先する自民党、ともに貧乏になろうという共産党、どちらも嫌いな人はどこにも投票できない選挙なのだ。


自民党総裁は言う、「成長」→「分配」。民進党代表は言う、「分配」→「成長」。
後者は共産主義に近い。分配を優先させた結果、成長はなかったことは中国の歴史が証明している。
自民党の考えは、分配は成長してからなので、いまだ成長しない社会では、貧乏人はどんどん窮地に追いやられる。非正規社員でも給料は上がったというが、それは大企業だけではないか。消費税増税を取りやめたため、一方、年金が増える、あるいは保たれる保証はない。私の知る限りでは、年金は減っているようにしか見えない。


今度の選挙はもしかしたら史上最低の投票率になるのではないかと思われてならない。

一行三昧

歩きながら、音楽を聴きながら、スマホを見ている人たち。


ベンチに座って音楽を聴きながら、食事しながら、スマホを見ている人たち。


中には授業を受けながら、あるいは会議をしながら、スマホゲームをしている人たち。


食事の味も音楽も授業も会議もすべてが中途半端な人たちが大勢歩いている。現代人はどこへ向かうのだろう。


一行三昧(いちぎょうざんまい)!一つの事だけに没入することの大切さを思う。

天邪鬼

 今日はビートルズが来日してから50年目だそうだ。1966年6月29日、来日したビートルズを日本中が歓迎したそうだ。ビートルズは誰もが認めるレジェンドだ。だが、わたしは小さいころから、何故かビートルズが嫌いだった。世間の風を、ただよその世界の出来事だと思っていた。


 小さいころ、人気だったのが、巨人、大鵬、卵焼きだった。だが、私は小さいころから、何故か巨人が大嫌いだった。大鵬と卵焼きは好きでも嫌いでもなかった。小さい頃アニメや漫画に多くの子供が夢中になっていた。だが、これは子供のものだと思ったぼくは15歳の日から読むのも見るのもやめた。


 今、世間で人気の何とかいうグループがあるが、その人たちがテレビに出たら、すぐにチャンネルを変える。街を歩いていて、彼らの音楽が聞こえたら、そこから離れる。


 また、人気がある女のような男が出てくると、チャンネルを変える。特に、「・・・はこのすぐあと」というのを聞くと、チャンネルを慌てて変える。つまらぬことで馬鹿笑いするのは嫌いだから、くだらぬギャグで笑っているお笑いタレントは見たくない。そんな番組しかない時は、テレビを消す。


 ぼくはゲームが大嫌いだ。ゲームの宣伝を見ると、吐き気がする。日本がおかしくなっている。はまって抜けられない人たちを作っているゲーム会社。会議中にはまったゲームから抜け出せないおバカなサラリーマン、授業中にゲームをする学生たち、そんな人たちが増えている。おろかな選択だ。


 おいしいという評判の店に並ぶ人たち、よっぽど暇なんだろうなと思う。並ぶ時間なんてない。人生は短いよと言いたくなる。


私は、ただ正直な気持ちで生きているのだが、もしかしたら、天邪鬼(あまのじゃく)が遺伝したのかもしれない。母がそうなのだ。世間で認めるものに反対ばかりしている。ウォシュレットが嫌いとか、便利なものであっても流行するものにはことごとく反対する母だ。


 わたしは母と似ているなと思う。しかし、わたしは好きなものは好き、嫌いなものは嫌いだ。サッカーはむかしから好きで、流行とは関係ない。それから、広島カープが好きだ。なぜなら企業名をつけていないからだ。流行してもしなくても、企業名をつけないサッカーJリーグが好きだ。己の好むものを好きなんだと思っている。そして、一生懸命努力する人が好きだ。


 国民をゲームの世界に陥れ、脱出できないようにしている人たち、そして借金地獄に陥れているギャンブルの関係者、ローン地獄を作り出す企業たち、彼らは生涯、好きになれないだろう。