テレビ
今年の東京オリンピックが開会する前、十一年前に買った24インチのテレビがおかしくなった。音声は聞こえるが、映像がまったく映らない。翌日、朝から、ネットで調べたり、業者に問い合わせたりして、直そうとしたが、やっぱり直らなかった。
このテレビ、地デジがスタートする時、90日間、毎日、五百円玉貯金をして買ったものだ。愛着もあったが、今も、五百円玉貯金をしていて、数万円貯まっているので、これで買い換えることにした。それで、壊れてから二日後の昼過ぎ、駅前まで行き、数件の電気屋を巡ってみた。
価格.comなどで調べて行ったのだが、案の定、値段は下がっていた。十年前に買ったものと同じサイズのものが当時の半額以下で売っていたので、それを買うことに決めた。だが、ずいぶん待たされた挙げ句、在庫がないと言われた。仕方なく、他の店に行って、似たようなタイプのものを買おうとしたら、ここでも長い間待たされた。
何とか買うことはできたが、家を出て帰宅するまで半日かかった。家に帰って、配線や設定をしながら、ふと思った。57年前のオリンピックの時も、白黒テレビからカラーテレビに買い換えた家、あるいは、新たにテレビを買った家が多かったのではないだろうか。
1964年の東京オリンピックは人々の生活スタイルを大きく変えた。多くの家庭の情報源はラジオからテレビに変わった。そのうち、テレビっ子も出てきた。そうして、21世紀になって、今度は地デジとか、ハイビジョンとか、4Kとか出て来て、テレビの性能は大きく進歩している。
と同時に、この頃は、スマホさえあれば、テレビは要らないという若者が増えているという。情報の伝達の仕方はアナログ的な紙面、ラジオ音声、テレビの映像、そして、今や、インターネットによるデジタルな、しかも、スマートな方式に変化している。
もう一つ思ったことがある。ラジオで、オリンピックのサッカー中継を聴きながら、状況を一生懸命想像していて思った。もしかしたら、ラジオは人の想像力を高める優れもので、テレビは人の想像力や言葉による表現力を奪う代物ではないだろうか。