曼珠沙華(ひがんばな)
曼珠沙華 北原白秋
GONSHAN. GONSHAN. 何處《どこ》へゆく、
赤い、御墓《おはか》の曼珠沙華《ひがんばな》、
曼珠沙華《ひがんばな》、
けふも手折りに來たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本《なんぼん》か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの兒の年の數《かず》。
GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、
ひとつ摘《つ》んでも、日は眞晝、
日は眞晝、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故《なし》泣くろ、
何時《いつ》まで取つても曼珠沙華《ひがんばな》、
曼珠沙華、
恐《こは》や、赤しや、まだ七つ。
彼岸花、秋の彼岸頃に咲くことから、彼岸花と言うが、仏典から出た名前が曼珠沙華。別名も多い。死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)などある。どうも不吉な名前だ。
また、俳句では秋の季語だ。花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「転生」。「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」など。
上の詩は北原白秋の詩。一度柳川のホテルの泊まった時、入り口でこの詩を見たことがあり、その時の印象が強く残っている。不思議な詩だ。
ところで、この詩の中の「GONSHAN( ごんしゃん)」というのは柳川方言で両家のお嬢さんだそうだ。このGONSHANは誰のことかよくわかっていない。良家のお嬢さんが、亡くなった子供の墓に来たのか。それとも良家の子供がお墓に来て、彼岸花を折り取っているのか。
それから、最後の「七つ」が同様に謎だ!これは彼岸花の開いた花の数か、GONSHANの年の数か、あるいは亡くなった子供が生きていた場合の年だろうか。いろいろ謎がある。
だが、ぼくが高校生の時、国語の先生はぼくたちにこう教えてくれた。詩は理屈じゃない。謎があるからいいんだ。謎の部分を不思議に思いながら、リズムを感じ、心象風景を大事にすればいいと。
<2004年に撮影した曼珠沙華の写真>