日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

桂歌丸師匠

 今日の午前笑点の名司会者だった桂歌丸師匠が亡くなった。軽妙な語り口と上品な仕草がなかなかよかった。少し甲高い声、声色を変えて、女性っぽい声、男っぽい声、若い人の声、子供の声、さまざまに巧みに使い分けるその演技は素晴らしいものだった。多くの人はテレビで特に、笑点での様子が思い出されるだろうが、ぼくの場合、実際に見て噺を聞いたことが二度ある。その時のことが忘れられない。
 一度目は、以前勤めていた高校の同僚たちといっしょに、たしか新宿だと思うが、寄席へ行って、数人の落語を聞いた。椅子でなくて床に直に座って聞くスタイルだった。客は10人そこそこだった。その時、取りを務めていたのが桂歌丸師匠だった。テレビでは何回か見かけたことがあったが、実際に目の前で話を聞いたのは初めてだった。ぼくは当時何故かいつも疲れていた。それほど積極的に聞こうという気がなくて、いつの間にかうとうとしていた。
 すると、鋭い視線を感じた。同時に親近感のようなものも感じた。それと周りの人たちの笑いも大きくなった。どうやら師匠がぼくをネタにして笑いを取ったようだった。今もあのときの何となく感じた空気が心の中に残っている。その時以来、ぼくは落語が好きになり、いろいろな落語家の噺をラジオやテレビから録音した。また時にはテープやCDも買うようになった。
 二度目に歌丸師匠を見たのは、当時勤めていた高校で、一度落語家を呼んで、生徒たちに聞かせようということになったのだが、その時、来てくれたのが、歌丸師匠だった。高校生たちはガヤガヤしていて、聞く耳持たないのじゃないだろうかと心配していたのだが、歌丸師匠は本題に入る前に小咄をして、会場の高校生を一気に引きつけた。
 さすがだなと思って聞いていたら、いつまでたっても、本題に入らなくて、とうとう最後まで小咄ばかりをして、予定していた時間が終わってしまった。この高校生たちにはちゃんとしたネタを話すより小咄のほうが合っているだろうと師匠は判断したのかもしれない。生徒たちは笑いっぱなしだった。教師たちも笑いっぱなしだった。このときの空気が今も心の中に残っている。
 ところで、落語家と言えば、一番好きなのは五代目古今亭志ん生だ。実際に見たり聞いたりしたことはないが、CDやテープで何度も聞いた。本も読んだ。すごい落語家だ。同時代の落語家に八代目桂文楽という人がいたが、文楽は一つの台詞が出ないと、「出直して参ります」と客席に謝って引っ込んだという話が残っている。正確できちんとした落語家、一方の志ん生は奔放で臨機応変の落語家だった。人は文楽型と志ん生型二分けられルとよく言われる。ぼくは自分自身後者だと思った。
 この二人亡き後、いい落語家がいたにはいたが、二人を超える人はまだ誰もいないと思っていた。だが、この歌丸師匠は超えずとも並ぶことができたのではないかという気がしている。もう実際に目の前で見たり聞いたりすることはできないが、YOUTUBEで視聴できる。時間があれば、また、師匠の噺を何度も見たり聞いたりしたいものだ。