NHK「決断なき原爆投下」を見て!
「原爆投下は戦争を早く終わらせ、数百万の米兵の命を救うため、2発が必要だとしてトルーマンが決断した」。
これは今までの定説で、トルーマン自身が演説で言ったことばでもある。だが、トルーマンは決断していなかったという話だ。軍人の准将が多額の予算を使って作った原爆をどうしても使いたかったというのが真相だという。
軍部は最も効果の高いところで試すべきだと考え、初めは京都を目標にしていたそうだ。しかし、トルーマン大統領は一般市民や子供たちを殺すことに反対した。文民政治家たちは、京都案を必死に止めたそうだ。
そして、最終的に、軍部は大統領に進言した。広島を軍事都市だと嘘の進言をしたのだ。その報告を大統領は信じた。大統領は最後まで渋っていたのだが、結局8月6日午前8時15分、原爆は広島に落とされた。落とした軍人は恐ろしいものを感じたそうだが、命令を下した准将はこの行為を誇りだとして喜び、次の原爆投下準備に入り、三日後長崎に落とす命令を下した。
長崎に原爆が投下された後、大統領は決断した。三つ目の原爆投下準備を進めていた軍部は中止せざるを得なくなったという。
この中で驚いたのは一瞬にして10万人以上の一般市民を焼き殺すという残虐非道な行為を軍人たちは喜び、誇りに思っていたということだ。原爆を落とさなくても、戦況はすでに決まっていた。日本が降伏する前に落としたかったのだという言葉だ。ヒトラーとどこが違うのだろうか。
大量殺人、15人を殺した大事件など過去にはいろいろある。だが、三日間で20万人を超える人を一挙に殺した大事件は広島と長崎の原爆投下が最初で最後だろう。命令を下した軍部のお偉方は何が何でも落としたかったそうだ。
原爆投下後の広島の実情を知ったトルーマン大統領は、本当に恐ろしさを覚えたのだが、冒頭のことばだ、多くの米国軍人の生命を守るため、戦争を早く終わらせるために命令を下したという。心にもない嘘をついて、自分が決断できなかったこと、あいまいにしてきたことの後悔を糊塗した。
そうしたことをNHKは秘密文書や彼らの日記から真実を明らかにした。思うこと、それは戦争において、命令を下す者たちには人の命が見えないのではないかということだ。人の命の重さより、大義名分のほうが大切なのだ。平和を唱えて、大量殺戮を喜ぶ人たちのその精神はまったくの狂気としか言いようがない。
今日、京都の平等院、清水寺など世界遺産に受け継がれている伝統的技術を紹介していた。それを見ていて思った。もしも、京都に原爆が落ちていたら、おそらく戦後の歴史も何かが大きく変化していただろう。もちろん京都の就学旅行もなかっただろう等と考えてしまった。