夏の日に光り輝く街路樹のモミジバフウ
幹の表面は緑色の苔で黄緑に輝いている
しわがれた黄緑色の樹肌のあちこちから
黄色い葉、可愛い葉、蛙の手のような葉
あちこちからそ小さな顔を覗かせている
夏の日に光り輝く街路樹のモミジバフウ
幹の表面は緑色の苔で黄緑に輝いている
しわがれた黄緑色の樹肌のあちこちから
黄色い葉、可愛い葉、蛙の手のような葉
あちこちからそ小さな顔を覗かせている
県外移動が解除になった。だけど、ぼくの生活は、相変わらず自粛モードだ。外食もしない。電車もバスもほとんど乗らない。散歩だけは一週間に2回ないし4回、母をできるだけ歩かせるため、歩いている。
春用のスーツは出したものの、仕事がなくて使わないうちに、梅雨が来て、夏至が来る。こんな体験はおそらく人生に一度か二度、いや、一度だけで十分だ。
人生で、そんなにない体験と言えば、夏至の21日、午後4時頃から、部分日食が見られるらしい。夏至の日の部分日食なんて、人生で間違いなく一度ぐらいしか見られないものらしい。
横浜の月の出は4時10分、月の入りは19時01分、日の出は4時21分、日の入りは19時、一年で昼がいちばん長い夏至の日に、月も太陽もほぼ同時に出て、ほぼ同時に沈む。そして、まだ明るい夕方、太陽が月に隠れて欠ける。
夏は好きだ。冬至のころの夕暮れは少し寂しいが、なかなか日が落ちない夏は気分がいい。夏の楽しみの一つだ。また、ノカンゾウだろうか、こんなに明るくて情熱的な色合いの花が咲き始めるのもいい。そのうち、大きな向日葵が見られたら、さらにうれしくなる。
バス通りなどを歩いていて、足が疲れたとき、道ばたのアジサイなどを見ながら心を慰めている。母も花を見ると、つい笑顔になる。先日はそのアジサイの咲いている中に道祖神があった。
今は車が行き交う道だが、昔、この道を村から村へと人々が歩いていたはずだ。道祖神は、この道に潜む悪霊たちから旅人を守ってくれたそうだ。母と二人、石の神様を拝んで通り過ぎた。
緑の葉とアジサイに囲まれた道祖神!暑い中、あちこちと歩き回りながら。いつものこうした道ばたの光景に心癒やされる。
好きな色は?と聞かれたら、いつでも青色だ。
青いアジサイ、青い海、青い空が好きだ。
青春の青、清々しい青、青い心。
青い地球、深緑の緑も好きだが、
やはり、青には叶わない。
まもなくプロ野球が開幕する。日テレのニュースにジャイアンツの原監督が出て話していた。「カンセンシャにならないようにしなければなりません」と言うのを聞いて、頭に浮かんだのは「観戦者」だった。観戦しているだけの人にならないようにという意味かと思ったが、違った。その後の話を聞いていたら、「感染者」だった。
こういうのって、よくある。しばらく前、ネットのニュースで政府がお魚券とかお肉券の配布を止めて、お食事券を配布したらどうかという記事を見ていた。すると、隣で母が見ているテレビドラマで、「おしょくじけん」ということばが聞こえてきた。何だと思って見たら、政治家の「汚職事件」だった。
同音異義のことばは紛らわしい。たとえば、観戦、感染、幹線、汗腺、艦船、平仮名で書かれたら、どうにもできない。新幹線、新感染、みんな、ひらがなで書かれたら、まったく理解できない。
「おぶつだん」というのもある。「汚物壇」なのか「お仏壇」なのかといっても、まさか、前者のような使い方はしないだろうから、すぐわかる。「やくざいし」はどうだろうか。「薬剤師」と「ヤクザ医師」。これも、前者だとすぐにわかるだろう。「しかいしゃ」はどうだ。「司会者」か「歯科医者」なのか。
昔、ちょっとしたゲームをしていていたことがある。「きこう」ということばを聞いて、辞書を使わずにどれだけの漢字が思いつくかというゲームだ。紙に書いて、後でチェックし合うのだ。すぐ思いつくのは「機構」「気候」「貴校」「起工」「気功」「寄稿」「寄航」「紀行」「寄港」「帰校」等などある。多いほうが勝ちだ。後でカツ丼を奢るというのもいい。
まだまだ同音異義語で気になるものはたくさんある。本を出したことがあるが、できあがった者を見たら、「依頼」と書いたつもりが、「以来」になっていたという辛い思い出もある。
同音異義語といなると、前にも書いたかもしれないが、「きしゃのきしゃはきしゃできしゃした」というのがある。「貴社の記者は汽車で帰社した」というのだ。奈良公園に行った時、バスガイドが、「奈良公園には鹿しかいません。」こういうだじゃれっぽいのはすぐにでも作れそうだ。「ししゃのししゃはすでにししゃとなった」とか。