民意とポピュリズム
オランダでポピュリズムの勢いに少しブレーキがかかったとか。芥川賞という純文学があれば、直木賞という大衆文学の賞があるのを考えれば、大衆迎合はいつの世にも変わらぬ傾向だと思う。だが、大衆迎合で人種差別をするのはどうかと思う。
どこどこの国の人は入国を禁止するとか、何々教徒は入国禁止などというのは完全な人種差別、宗教差別だ。そんなことを大衆が望んでいて、それに迎合するのがポピュリズムであると言われているが、そのこと自体に不快感を感じる。つまり大衆が差別を欲しているから、政治家も差別をするという。
だが、今日本の森友問題で政権叩きをやってるのもポピュリズムだと人は言う。だが、人々がこれを求めている。だから、それを追求するというのであれば、これは民意を反映するということになるのかもしれないと思う。
大衆迎合と言えば、大衆を意識した出版文化も気になる。正しいかどうかは別として、需要があるからとして、出版する。それは例えば、猥褻な画像を求める人がいるから、そう言う画像を載せる。それが度を越して動画ともなれば犯罪になる可能性もある。
ポピュリズムは言い換えれば民意に近い。政治は国民の民意を反映している。民意が高ければ、正しいポピュリズムになるが、民意が低ければ、誤ったポピュリズムになる。今のアメリカは差別的な国民の民意を反映している。
今、日本の政権を批判する野党のポピュリズムのレベルが高いか低いかは今判断できない。一つ言えることは、野党の追及がメディアの報道といっしょに国民の民意を反映させていることは間違いない。問われるのはいつだって、国民の民意である。