記憶と記録!
最近、安倍首相の周囲が騒がしい。何だか韓国の朴槿恵大統領の場合と似ている。いつもはどんな困難も困難とせずに切り抜けてきたようだが、今回はあたふたとしている。安倍首相肝いりの防衛大臣も危ない。
最近、国会の場がまるで、刑事ドラマのように見える。大臣が「そんな人とは会ったことがありません」と言い、関係を示す証拠を見せられたら、「面識はあるが、10年以上会っていない」と発言を撤回し、2年前に会っている証拠を示され、「記憶に基づいて発言したのだが、実は会っていた」と言う。
さらには、大臣が首相があるいは首相夫人が森友学園に寄付金をしたかどうか、みな「していない」と言うが、真実はどうなのだろうか。実際に寄付金を出していたということが記録されていたら、国会で虚偽の発言をしたことになる。
うちの母は記憶がすぐになくなる。ドラマを何回見ても楽しめる。食べたことがあるものを、初めて食べたと言う。行ったことのある場所を初めて来たと言う。「記憶がない」のだ。虚偽の発言ではない。
だが、国会議員たちが、「記憶に基づいて発言したのです。虚偽ではありません」というのを聞くと、嘘だ。知っててとぼけてるんじゃないか、虚偽以外の何物でもない。以前、国会でよく使われた「記憶にございません」という言葉が思い出される。国会議員たちは「記憶」という言葉は重宝に使うようだ。
以前、働いていた職場で、新しい事務長が来て、これからは「記録主義」でお願いしますと言われた。これはすべて記録に取り、「~したつもり」というミスをなくし、「したかしなかったか」でもめたりしないようにというものだった。政府や地方公共団体で「記録は取っていませんでした」という発言を聞くと、記録主義は記憶主義に代わってしまったのかと不思議になる。
寄付金があったとかなかったとか、いずれにしても、「記憶」ということばによって、事実の隠蔽が行われている。どうにも怪しい「記憶」主義だ。何もかも「藪の中」のようで、真実はどこにあるのかという状態だが、ただ一つ言えることは、森友学園の疑惑が発端になり、今や、自民党政権、安倍政権が傾きかけているのは間違いないだろう。