日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

百円寿司!


 またまた、はま寿司に行って食事をした。昼食ということで、軽く食べて、母と二人で756円、安くておいしくて喜べる寿司店だ。それから、ここは注文しないと、寿司の皿は回っていない。注文すると、そのテーブルまで、届けられるので、回転寿司とは言い難い。

 そんなことを考えながら、周りを見ると、ビールを飲んでいる人が多い。1杯500円近いビールだ。そんなものを飲むゆとりがあれば、ぼくは100円寿司を5皿食べたい。

 寿司が食べられる幸せを感じる。寿司はぼくにとって、ひどく贅沢なものだった。それが、回転寿司のおかげで食べられるようになった。ただ安い寿司が食べられる幸せを感じている。

 回転寿司が流行りだした頃、友人が20皿ほど食べて2千円払っていたのを見て驚いたことがある。当時も今もぼくは一食に千円以上払うことは考えられない。

 学生の頃、ぼくには、仕送りがぼくの7倍ほどある友人がいた。生活スタイルもちがっていた。食べるものも違っていた。ぼくは安い定食を食べていた。貧富の差は何だろうといつも思っていた。でも、妬む気持ちはなかった。

 寿司などというものは貧乏人には無縁のものと思っていた。それが食べられることは最高の幸せだった。豊かな暮らしをする友人には、回転寿司など馬鹿らしいものに思えただろうが、当時のぼくはひどくうれしかった。

 生活レベルの差は昔からあった。ぼくは「太陽がいっぱい」という映画を見て、金持ちの友人を殺してなりすませたらと、真剣に考えたこともあった。そんな時代だった。

 豊かな生活をする友人が1万円からするコンサートのチケットを何枚も平気で買っていたのをうらやましく思ったぼくがいた。

 ぼくはそのコンサート代金と同じぐらいの金額で生活しいた。寿司なんてものは食べられないと、最初から思い込んでいた。そんな青春時代だった。だから回転寿司はぼくをかなり喜ばせてくれた。


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