日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

命日!

 今日、2月22日は2019年度のJリーグが始まる日だ。また、「今日は何の日?」とかいうサイトでは、2がそろうことからか、「忍者の日」だそうだ。だが、ぼくにとって、2月22日は「父の命日」であることが最も重要なことだ。亡くなって数十年が過ぎるが、父の亡くなった日のことはずっと忘れられない。
 父が亡くなった日、ぼくは少し遠いところで仕事をしていた。電話で危篤を知らされて、同僚に車で送ってもらい、およそ2時間かけて、病院にかけつけた。結局、父の死に目には会えなかった。ぼくは何故か涙も出なかったが、いとこが泣いたのをきっかけに涙がぼろぼろとこぼれたのを覚えている。
 ぼくは父と性格的に合わなかった。無口過ぎる父。考え方などで、かなり反発していた。それに、頭脳明晰な父と似ている兄と弟と違って、ぼくは成績も悪かった。父とは全く異質だと思っていた。そんなこともあって、ぼくは父にとって、「鬼っ子」なんだといつも思っていた。ぼくは父に嫌われていると絶えず思っていた。成績表を見せる度に、きびしい視線を向けられ、無言で厳しく責められているような気がしていた。
 そんな父の葬儀の時、来てくれた坊さんがしてくれたお説教が今も心に残っている。「お葬式は亡くなった方のためにするのではありません。残された人たちの心に亡くなられた方のことを、ここにおられる参列者の方々の心に残すためなのです。みなさんの心の中でこの方は生き続けるのです。」
 それにもう一つ忘れられないことがあった。通夜の席で、父の同僚たちが来ていて、父が日頃、会社の中で、息子たちの中で、成績の悪いぼくのことをいつも心配していたと話してくれた。ぼくは父の死後、父がどのように生きてきたのか知ろうとして、いろいろな人に話を聞いた。おかげで、少しは理解できたように思う。
 人にはその時代なりの人生がある。誰もみな精いっぱいなのだ。ただ、表現が下手な人もいる。そんなことも考えず、ぼくは父を嫌っていた。今できることは亡き父のことを今も大事にして、お祈りを続ける母を大事にすることしかない。ただ、矛盾するようだが、母は父の命日さえも忘れている。22日の今日、仕事から帰ってから、仏壇にお経をあげて、父のことを思い返し、母に葬式の時にあったことなどを話してみようと思う。


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