日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

健忘症!

 今週は忘れ物が多かった。


 月曜日、電子辞書のペンをどこかで忘れ、火曜日、ペンは学校のみんなが使うテーブルの上に発見。だが、その日、電子辞書をどこかに忘れたが、木曜日、学校に行ったら、「この辞書、先生のですか。教室にありました」と言われて、電子辞書は見つかったが、今度は着て行ったコートを教室に忘れて帰ってしまった。家の近くのバス停で降りて、寒いと感じて、コートを教室に忘れたことに気が付いた。


 年かな?とも思うが、実はこどものころから物忘れが多くて、兄からは「物忘れの天才!」とまで言われた。小学校の時はよく宿題を忘れていた。時には書いた宿題を家に置いてきてしまうことも、また宿題があったことさえ和することもあった。それで先生によく叱られ、しばしば廊下に立たされた。廊下を通る先生たちから、「またか!」と言われたものだ。
 
 教師になってからは、今度は生徒に宿題を出しながら、それをすっかり忘れることもしばしばだった。生徒からは喜ばれたというか、軽蔑されたことだろう。結婚してからは、電話で妻に買い物を頼まれていたのに、家に帰って、「~は?」と言われて、はっと気づくことも、また、言われても思い出せなかったりしたものだ。


 健忘症のひどい奴と言えば、よく落語や笑い話の世界によく出てくる。買い物に行ったものの何を買うのか忘れてしまったとか、トイレに行こうとして、途中で話しかけられて、何のために立ったのか思い出せず、とりあえずトイレに行ったとか。向こうから来る人どっかで見かけた人だが、誰だか思い出せない。いったい誰だったかなと思いながら、顔を合わせて、「こんにちは。あの~申し訳ありませんが、どなたでしたでしょうか?」「馬鹿野郎!お前の親父だ」なんてのが出てくる。そういうのを聞くたびに、共感を覚えていた。


 健忘症というか、これってもしかしたら「若年性認知症」と名付けてもいいものではないかと思う。ともあれ、相変わらずの「物忘れの天才」だ。だが、ふと思う。もしかしたら、普通の人だったら年を取れば老眼になるのに、近視の人は年を取っても、老眼にならなない、近くのものが老眼鏡なしで読める。これと同じように、健忘症の人は年をとっても、認知症にならないなんてことはないだろうかと都合よく考えている。

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