日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

去年今年

「去年今年貫く棒のごときもの」高浜虚子


 去年今年は新年の季語だが、高浜虚子のこの一句で、意味が定着したと言われる。あわただしく新年の行事を行う中、去年と今年の時間的区切りがあっても、虚子の人生の中には貫く棒のようなものがあって、それが去年と今年を貫いているというのは力強い響きがある。


 去年今年と言えば、思い出すのは初日の出。何年も前、九州に住んでいて、元旦の早朝、車で海辺まで行って、初日の出を拝んだりしていたが、人は多くなかった。今は関東に住んでいて、車は持っていない。始発のバスに乗って行けるところは限られている。スカイツリーや横浜ランドマークタワーなどに登ったこともあるが、どこもかしこも人でいっぱいだ。背伸びしても日の出が拝めないほどだ。今年は横浜大桟橋に行ったが、ここでも人で埋まっていた。


 ネットの影響も強いと思うが、最近、カウントダウンなどで年を越す人たちのフィーバーなどをテレビなどで見ていると、年々人が集まるところにさらに人が集まる、そんな傾向がネットを介してどんどん広まっているように思う。どこかの店が評判だと言うと、すぐ行列ができる。行列ができているということが広まると、さらに行列は長くなる。それでも人は集まる。


 以前、テレビでどこかの温泉を秘湯として紹介したら、そこに人がどっと押し寄せて、もう秘湯ではなくなるという現象があった。人知れぬ隠れ里など紹介されたら、隠れ里ではなくなる。幻の何々と言って素晴らしい場所があってもすぐネットで広がる、「幻の何々」や「秘密の何々」なんてのはよっぽど交通不便なところでなければ、容易に存在できなくなる、そんな世の中だ。


 去年今年、人で賑わうところに、さらに人が集まり、芋を洗うかのように人で賑わう。静かに家でじっとしているほうがましだとも思う。そんな正月だ。いやそれより、去年と今年と来年と毎年を貫く棒のようなものを探さなくちゃ。

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