終戦記念日に思う
明日15日は終戦記念日と言うが、終戦記念日というより敗戦記念日とした方がいいという意見もある。もう一つ、終戦はいつだったかという問題もある。15日の玉音放送では戦争は終わらなかった。世界では、東京湾で日本軍が降伏文書に調印した日である9月2日とされている。
「タエガタキをタエシノビガタキヲシノビ」という天皇陛下の玉音放送が行われた8月15日以後も、樺太、千島列島において、ソビエト連邦(ソ連)との間で、戦闘が続いた。樺太では、「樺太を死守せよ」という命令のもとに戦闘が行われ、民間人も数千人亡くなったという。
さらに、ソ連は投降した旧日本軍兵士を捕虜としてシベリアに移送し、極寒の中、数年にわたって、奴隷的な抑留生活を強いて、強制労働をさせた。抑留生活の間に数万人の死者が出たそうだ。また、抑留生活を経て帰国した元将兵は50万人と言われている。
ぼくが生まれる前の話だが、ぼくの父は戦争が終わっても帰国しなかった。戦後の昭和24年、もう死んだものとあきらめた時、傷だらけで帰国したそうだ。祖母の言葉を借りれば、幽霊を見たと思ったそうだ。実際、姿も表情も幽霊のようであったことと思う。顔中傷だらけで、戦地に赴いた前の明るい少年が暗い青年に変わっていたという。
戦争は誰に利益をもたらすものなのか知らないが、国民や一兵卒にとっては、悲劇以外の何ものでもない。米朝の間で不穏な空気が流れているが、その中間に位置し、沖縄基地などを抱える日本は不安だ。そればかりでなく、政府が押し切って作った悪法「集団的自衛権」「テロ等準備罪」等を考えると、いよいよ不安も増してくる。戦争にならないことを祈る。