五月の貴公子
五月は好きな季節である。というのも、若いころ読んだ萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の中の「五月の貴公子」という詩にぼんやりとした憧れを持っていたからだ。
五月の貴公子
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女あなたのくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。
緑の多いこの時期、毎年、五月の緑の若草の上を歩きながら、勝手に五月の貴公子になった気分でいた。年には関係なく、人は永遠に貴公子になれるはず、そういう気分を持って五月の心地よい季節を過ごすことも一つの楽しみだ。