まもなくプロ野球が開幕する。日テレのニュースにジャイアンツの原監督が出て話していた。「カンセンシャにならないようにしなければなりません」と言うのを聞いて、頭に浮かんだのは「観戦者」だった。観戦しているだけの人にならないようにという意味かと思ったが、違った。その後の話を聞いていたら、「感染者」だった。
こういうのって、よくある。しばらく前、ネットのニュースで政府がお魚券とかお肉券の配布を止めて、お食事券を配布したらどうかという記事を見ていた。すると、隣で母が見ているテレビドラマで、「おしょくじけん」ということばが聞こえてきた。何だと思って見たら、政治家の「汚職事件」だった。
同音異義のことばは紛らわしい。たとえば、観戦、感染、幹線、汗腺、艦船、平仮名で書かれたら、どうにもできない。新幹線、新感染、みんな、ひらがなで書かれたら、まったく理解できない。
「おぶつだん」というのもある。「汚物壇」なのか「お仏壇」なのかといっても、まさか、前者のような使い方はしないだろうから、すぐわかる。「やくざいし」はどうだろうか。「薬剤師」と「ヤクザ医師」。これも、前者だとすぐにわかるだろう。「しかいしゃ」はどうだ。「司会者」か「歯科医者」なのか。
昔、ちょっとしたゲームをしていていたことがある。「きこう」ということばを聞いて、辞書を使わずにどれだけの漢字が思いつくかというゲームだ。紙に書いて、後でチェックし合うのだ。すぐ思いつくのは「機構」「気候」「貴校」「起工」「気功」「寄稿」「寄航」「紀行」「寄港」「帰校」等などある。多いほうが勝ちだ。後でカツ丼を奢るというのもいい。
まだまだ同音異義語で気になるものはたくさんある。本を出したことがあるが、できあがった者を見たら、「依頼」と書いたつもりが、「以来」になっていたという辛い思い出もある。
同音異義語といなると、前にも書いたかもしれないが、「きしゃのきしゃはきしゃできしゃした」というのがある。「貴社の記者は汽車で帰社した」というのだ。奈良公園に行った時、バスガイドが、「奈良公園には鹿しかいません。」こういうだじゃれっぽいのはすぐにでも作れそうだ。「ししゃのししゃはすでにししゃとなった」とか。
薄青い空に痛いけな赤い薔薇!
久しぶりの青空の下、母の通院に付き合って、横浜の病院へ行った。
途中、見慣れない花がいろいろ見られたのはよかった。中でも、赤い花、何の花かはわからないが、青空に映えていた。
日々、記憶が薄れていって、自分が何歳かも忘れそうな母といっしょに静かに暮らしているが、母はこの赤い花を見て、「見て、きれい!」顔を綻ばせる。
コロナに北朝鮮にアメリカのデモ、いろいろあって、世界は危ういように見えるが、何とかなるさ!と楽観的に考えている。
今も出かけるのは三日に一度、買い物を兼ねた散歩だけだ。先日は、スーパーの前の花屋を見ていたら、色々な花があるものだと感心した。へえ、こんな名前なんだという花も多かった。 近くの公園を散歩していたら、見たことのない花も見られた。
2キロ圏内の散歩しているのだが、途中、あっちも行ってみよう、こっちも行ってみようとやっている間に、けっこう距離が伸びて、6キロから9キロぐらい歩くこともある。
と言っても、目的地までスマホで経路を調べていても、母のためにトイレ探しに行くことのほうが多いような気がする。
何はともあれ、コロナ自粛のおかげで、半径2キロ以内のどこにトイレがあるかほとんど把握してしまった。ともかく歩く距離を稼げるのはいいことだ。
母も、歩けば、少しは食欲が増すようだ。たくさん食べて栄養をつけてもらわなければならない。
毎日、昼頃からその日の晩ご飯は何を作ろうかと考えている。
山芋と小松菜にキムチを加えて炒めた料理は簡単だが、なかなかおいしかった。
その他、ポテトサラダは三日に一度くらい作っている。カレーは一週間に一度くらいだ。
歯が弱くて、食欲の減って来た母のために、柔らかくて、食欲を増進させる料理をいつも考えている。
ポテトサラダ(きゅうり、カニカマ、ゆで卵入り)
カレーライス(ポテト、ニンジン、玉ねぎ、ウインナー入り)
ウインナーポテトのガーリックバター炒め
焼きそば(ピーマン、赤ピーマン、小松菜、チクワ、ニンジン)
トマト卵炒め(トマト缶)
油揚に納豆、キムチ、チーズを載せて焼いたおかず
赤飯(百均)