日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

見ていたい俳優!

 今、朝日テレビで渡瀬恒彦の追悼番組、ドラマ「おみやさん」を放送している。

 いい俳優だった。もっと見ていたいと思う俳優だった。温かい雰囲気を持った熟年俳優だった。 

 テレビの報道番組で見たのだが、弟の渡哲也は渡瀬恒彦のことを評してこう言ったそうだ。


「身内なので非常に申し上げにくいのですが、弟は私をはるかに超えた俳優になったなと。野球のピッチャーに例えるのなら、私はボール気味のストレートしか投げられないのですが、弟の場合はフォークとかスライダーも投げられるうまい役者になった」


 確かにそうだと思った。渡哲也は無骨なところがある。3年前に亡くなった高倉健にも似ている。一方、渡瀬恒彦は周りを和ませるような温かい雰囲気がある。5年前に亡くなった地井武男もそうだった。


 ぼくが、いつまでも「見ていたい」と思う俳優はまだまだいるが、次第に少なくなっていく。若い俳優の中から、ずっと「見ていたい」と思う俳優が現れることを期待している。
 

仲良くしろよ!

世界中の国がみな自己中心に走り始めている。
いちばん大事なことは、言語は違えど、人類はみな兄弟だということだ。


誰かが言った、宇宙から見た地球は小さな丸い球に過ぎない。
宇宙の中のちっぽけな丸い球、その上で、ちっぽけな地域と地域とが争っている。


民族と民族が、宗教と宗教が争い、殴り合い、殺し合っている。
こんな空しいことをしているのはあほらしいではないか。


小さな国の中の小さな町の中でも、人々が泣いている。泣かされている。
おいおい、仲良くしろよ。助け合えよとつぶやきたくなる。


民意とポピュリズム

 オランダでポピュリズムの勢いに少しブレーキがかかったとか。芥川賞という純文学があれば、直木賞という大衆文学の賞があるのを考えれば、大衆迎合はいつの世にも変わらぬ傾向だと思う。だが、大衆迎合で人種差別をするのはどうかと思う。


 どこどこの国の人は入国を禁止するとか、何々教徒は入国禁止などというのは完全な人種差別、宗教差別だ。そんなことを大衆が望んでいて、それに迎合するのがポピュリズムであると言われているが、そのこと自体に不快感を感じる。つまり大衆が差別を欲しているから、政治家も差別をするという。


 だが、今日本の森友問題で政権叩きをやってるのもポピュリズムだと人は言う。だが、人々がこれを求めている。だから、それを追求するというのであれば、これは民意を反映するということになるのかもしれないと思う。


 大衆迎合と言えば、大衆を意識した出版文化も気になる。正しいかどうかは別として、需要があるからとして、出版する。それは例えば、猥褻な画像を求める人がいるから、そう言う画像を載せる。それが度を越して動画ともなれば犯罪になる可能性もある。


 ポピュリズムは言い換えれば民意に近い。政治は国民の民意を反映している。民意が高ければ、正しいポピュリズムになるが、民意が低ければ、誤ったポピュリズムになる。今のアメリカは差別的な国民の民意を反映している。


 今、日本の政権を批判する野党のポピュリズムのレベルが高いか低いかは今判断できない。一つ言えることは、野党の追及がメディアの報道といっしょに国民の民意を反映させていることは間違いない。問われるのはいつだって、国民の民意である。

記憶と記録!

 最近、安倍首相の周囲が騒がしい。何だか韓国の朴槿恵大統領の場合と似ている。いつもはどんな困難も困難とせずに切り抜けてきたようだが、今回はあたふたとしている。安倍首相肝いりの防衛大臣も危ない。


 最近、国会の場がまるで、刑事ドラマのように見える。大臣が「そんな人とは会ったことがありません」と言い、関係を示す証拠を見せられたら、「面識はあるが、10年以上会っていない」と発言を撤回し、2年前に会っている証拠を示され、「記憶に基づいて発言したのだが、実は会っていた」と言う。


 さらには、大臣が首相があるいは首相夫人が森友学園に寄付金をしたかどうか、みな「していない」と言うが、真実はどうなのだろうか。実際に寄付金を出していたということが記録されていたら、国会で虚偽の発言をしたことになる。


 うちの母は記憶がすぐになくなる。ドラマを何回見ても楽しめる。食べたことがあるものを、初めて食べたと言う。行ったことのある場所を初めて来たと言う。「記憶がない」のだ。虚偽の発言ではない。


 だが、国会議員たちが、「記憶に基づいて発言したのです。虚偽ではありません」というのを聞くと、嘘だ。知っててとぼけてるんじゃないか、虚偽以外の何物でもない。以前、国会でよく使われた「記憶にございません」という言葉が思い出される。国会議員たちは「記憶」という言葉は重宝に使うようだ。


 以前、働いていた職場で、新しい事務長が来て、これからは「記録主義」でお願いしますと言われた。これはすべて記録に取り、「~したつもり」というミスをなくし、「したかしなかったか」でもめたりしないようにというものだった。政府や地方公共団体で「記録は取っていませんでした」という発言を聞くと、記録主義は記憶主義に代わってしまったのかと不思議になる。


 寄付金があったとかなかったとか、いずれにしても、「記憶」ということばによって、事実の隠蔽が行われている。どうにも怪しい「記憶」主義だ。何もかも「藪の中」のようで、真実はどこにあるのかという状態だが、ただ一つ言えることは、森友学園の疑惑が発端になり、今や、自民党政権、安倍政権が傾きかけているのは間違いないだろう。



何よりも真実を!

Rather than love, than money, than fame, give me truth.

(Henry David Thoreau)


 ソローは「愛よりも、金よりも、名誉よりも、真実がほしい」と言う。
 今、国を愛する人たちが、金と名誉を保とうと嘘をつき続けている。
 その姿はあまりにもみじめだし、何とも国の品位を下げ続けている。
 米国でも韓国でもロシアでも、我が国でも「虚」が大手を振っている。
 「ポスト真実」を貫き通し、虚で真実を動かす国家のリーダーたち。
 彼らが国ばかりか世界に大きな影響を与えている現状に国と世界を憂う。