日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

蝶2匹


 散歩中、ヒラヒラとしていながら、なかなかその場を動かない2匹の蝶を見付けた。
 ところで、蝶々の数え方は、蝶々も含めて、昆虫を数える時、学術的には「頭(とう)」を使うそうだが、どうも馴染まないので、匹を使うことにする。
 話を元に戻すが、この2匹の蝶々は雄と雌の関係だろうか。一匹が逃げようとするのをもう一匹が放そうとしないで、争っている雰囲気だ。
 ドラマに見る男女のドロドロとした世界を連想してしまった。別れたいと言っても、別れてもらえないとか、独占欲から束縛しようとするような関係、時には、一方がストーカーのようになってしまうような関係など。
 蝶々の世界も人間の世界も似たり寄ったりかなと思われた。
 

テレビ

 今年の東京オリンピックが開会する前、十一年前に買った24インチのテレビがおかしくなった。音声は聞こえるが、映像がまったく映らない。翌日、朝から、ネットで調べたり、業者に問い合わせたりして、直そうとしたが、やっぱり直らなかった。


 このテレビ、地デジがスタートする時、90日間、毎日、五百円玉貯金をして買ったものだ。愛着もあったが、今も、五百円玉貯金をしていて、数万円貯まっているので、これで買い換えることにした。それで、壊れてから二日後の昼過ぎ、駅前まで行き、数件の電気屋を巡ってみた。


 価格.comなどで調べて行ったのだが、案の定、値段は下がっていた。十年前に買ったものと同じサイズのものが当時の半額以下で売っていたので、それを買うことに決めた。だが、ずいぶん待たされた挙げ句、在庫がないと言われた。仕方なく、他の店に行って、似たようなタイプのものを買おうとしたら、ここでも長い間待たされた。


 何とか買うことはできたが、家を出て帰宅するまで半日かかった。家に帰って、配線や設定をしながら、ふと思った。57年前のオリンピックの時も、白黒テレビからカラーテレビに買い換えた家、あるいは、新たにテレビを買った家が多かったのではないだろうか。


 1964年の東京オリンピックは人々の生活スタイルを大きく変えた。多くの家庭の情報源はラジオからテレビに変わった。そのうち、テレビっ子も出てきた。そうして、21世紀になって、今度は地デジとか、ハイビジョンとか、4Kとか出て来て、テレビの性能は大きく進歩している。


 と同時に、この頃は、スマホさえあれば、テレビは要らないという若者が増えているという。情報の伝達の仕方はアナログ的な紙面、ラジオ音声、テレビの映像、そして、今や、インターネットによるデジタルな、しかも、スマートな方式に変化している。


 もう一つ思ったことがある。ラジオで、オリンピックのサッカー中継を聴きながら、状況を一生懸命想像していて思った。もしかしたら、ラジオは人の想像力を高める優れもので、テレビは人の想像力や言葉による表現力を奪う代物ではないだろうか。

百日紅の花が咲いた

 


 一昨日の夜は満月だった。とても美しかった。ついつい、月が沈むころまで、眺めていた。日曜日の朝は寝不足のまま、一日を過ごした。蟬は相変わらず、賑やかに朝から晩まで鳴き続けている。


 暑苦しいが、少しは歩かなければならないと思い、昼過ぎて、散歩に出た。近所に3本ある百日紅のうち、2本が赤い花を咲かせていた。オニユリやホオズキも見かけた。いろいろな花が見られる団地だ。


 河辺を覗きながら歩くと、相変わらず、ハグロトンボがヒラヒラと飛んでは、草や小枝に止まって羽根を休めている。カルガモも7羽ほど見かけられた。


 22日からいよいよ大暑だ。最も暑い季節ではあるが、大暑と言えば、立秋も近い。確かに今は暑いが、月や花や鴨やトンボを眺めて、季節の移り変わりを感じながら歩くのは気持ちがいい。


料理の記録21/07/25-鶏肉

 今週は、仕事はなかったものの、予約してあった母の通院、それに、テレビの故障もあって、買い換えのため電気屋さん巡りなどして、けっこう慌ただしかった。


 また、真夏時々猛暑続きで、遠くへ散歩に行きたくても、用事以外はできるだけ、外へ出ないで、テレビドラマやオリンピックの試合を見たりして、ほとんど、家で過ごした。


 料理に関しては、買ってきた食材の消費期限を見ながら、何を作るか、いろいろ考えたが、主に鶏肉料理を作ってみた。チキンカツ、一口チキンカツ、鶏キムチ、それから、茄子の料理、油揚げの料理などに挑戦した。


チキンカツ
鶏胸肉を半分に切り、叩いて平たくして、小麦粉、卵液、パン粉をつけて、少ない油で揚げた。とんかつのおいしさも知っているが、これはこれで十分美味しい。


チキンカツ
同じく鶏肉を薄く、小さく切って、チキンカツを作るのと同じく、塩胡椒し、小麦粉、卵液、パン粉をつけて、少量の油で揚げた。


鶏キムチ焼ききしめん。
まず、きしめんをお湯につけて、ほぐしておく。鶏肉を一口大に切り、マヨネーズで、鶏肉、タマネギを焼いて、キムチを加え、最後にきしめんを加えて、塩胡椒で味の調整をした。


油揚げのベーコンチーズ焼き。
ネットで調べた油揚げ料理で、油揚げを半分に切り、袋状にして、半分の中にベーコンとチーズを挟み込んで、それをもう半分の油揚げで包み込み、フライパンで焼いた。




ゴーヤチャンプルー丼。
ゴーヤが安かったので、買ってきて、半分に切って、中綿を取り、しばらく水につけておき、フライパンでさいの目に切った豆腐と、豚肉を焼き、豚肉の色が変わったら、ゴーヤも入れ、ゴーヤチャンプルーの素を加えて、混ぜ、最後に溶き卵を加えた。できあがりに鰹節を載せ、ゴーヤチャンプルー丼にした。


茄子の煮浸し。
ネットでいろいろなレシピを見て作ったのだが、どれを参考にしたのかよくわからなくなった。


ニンジンの薄焼き。
薄切りにしたニンジン(一本)とニラ(一束の1/3)、片栗粉(大さじ2杯)、溶き卵1こを混ぜて、フライパンで薄く焼いた。タレは酢醤油で食べた。

世界のアスリート集結

 コロナパンデミックの恐怖が募る東京で、23日、東京オリンピック2020の開会式が行われた。この祭典を見て、思った。世界人類は一つに団結できるのではないか。ここには政治的紛争も宗教のいがみ合いもない。誰もが平等に自分の能力を精いっぱい発揮しようとしている。勝ち負けは重要じゃない。全力を尽くすことが重要なのだ。


 1964年の東京オリンピックの時、日本では、活躍した選手たちを見た人たちの間で、バレーボールや体操などのスポーツが流行した。そして、1968年のメキシコオリンピックで日本代表のサッカーチームが銅メダルを獲得してからは、サッカー熱が高まった。日本の高度経済成長もこのころから始まった。


 1964年のオリンピックで、多くの日本人が、夢を与えられたように思う。その意味で、入場パレードを見ながら思った。二匹目の泥鰌ではないが、もう一度、夢が与えられたらいいと願った。もちろん、メダルの色も気になるが、それより、彼らの頑張る姿が大切なのだ。そこに夢があるのだ。


 日本ばかりではない。経済的に弱い国、領土の小さな国も含めて、205の国と地域の選手たちが集まった。その選手たちは大勢の人たちの夢を背負っている。勝ち負けではない、頑張る姿に夢がある。オリンピックの精神はすばらしい。オリンピックは商業主義にまみれているように見えるが、根本的な精神は変わっていないはずだと思った。