最近、昼は曇り空、夕方は雨、それもザアザアと降る。いわゆる、夕立か?
夕立と言えば、梅雨明け後の真夏に訪れる涼しさの象徴のようなものだが、今は、まだ梅雨。季節感がおかしくなりそうだ。
夜、ベランダからジージーと蟬の声が聞こえてきた。カーテンを開けると、網戸に蝉が張り付いていた。
まるで、梅雨の終わりを急かしにやってきたようだ。ついでに、コロナ退散も急かしてくれたらいいのに。
最近、昼は曇り空、夕方は雨、それもザアザアと降る。いわゆる、夕立か?
夕立と言えば、梅雨明け後の真夏に訪れる涼しさの象徴のようなものだが、今は、まだ梅雨。季節感がおかしくなりそうだ。
夜、ベランダからジージーと蟬の声が聞こえてきた。カーテンを開けると、網戸に蝉が張り付いていた。
まるで、梅雨の終わりを急かしにやってきたようだ。ついでに、コロナ退散も急かしてくれたらいいのに。
とうとう、ワクチン接種を受けてきた。昨日の朝、予約した時間より早めに病院に着いて、整理番号をもらい、時間になると、番号順に案内され、簡単な予診を受けてから、個室で接種を受け、すべてあっさりと終わった。それから15分後には、病院を出た。
家を出てから、1時間以内で、帰宅できた。痛みとか発熱とかめまいとかいろいろ心配していたが、打つ時の痛みもなければ、また、打った後も、何ともなかった。ただ、夜になって、上腕のあたりが少し痛み始めた。それに、腕が肩から上に上がらない状態だった。ただ、発熱はまったくない。
今朝は、痛みもほとんど引いている。発熱もない。ただ、肩が四十肩になった時のようにあまり上がらず困っている。それでも、本当に困ることはない。ひどい副作用を心配したが、今の所、無事だ。もしかしたら、「案ずるより産むが易し」ということだろうか。
ところで、いつもは夕方見ている団地の木槿を、昨日はワクチン接種して帰宅した朝のうちに見た。夕方見るのと違って、何となく、夏らしい薄紫色だった。今朝の空はいつもと違って明るい。梅雨が明けたかのような、清々しく気持ちのいい朝だ。
先週の日曜日から一週間の間に作った料理、昨年三月から、外食や中食(なかしょく、弁当等買って家で温めて食べる食事)をせず、買って来た食材を家で料理して、食べる、いわゆる「内食(うちしょく)」の記録は昨年三月以来だから、すでに一年半を超えた。
ここまで来ると、料理の腕も上達したはずだと思うが、けっこう、料理にしたくない日もあって、しばしば、買って来た料理の素で野菜を炒めるだけのものが増えてきた。
上の写真は「カボチャ挽き肉餡かけ」。挽き肉を、前もってレンジで柔らかくしたカボチャといっしょに炒めて、餡かけソースの素で味付けをしただけだ。
こういうタイプの料理が最近ずいぶんと増えてきた。また、そんな時のほうが、母は「これ、あなたが味付けしたの?美味しいね」と言ってくれる。少し残念な気もするが、うれしい。
鳥キムチ。鶏肉、ズッキーニとキャベツを炒め、キムチを混ぜた。
鶏肉を薄く切り、小麦粉、卵、パン粉をまぶして、少量の油で揚げた。
ニラ玉。鶏ガラスープの素をくわえたとき卵をあらかじめ軽く炒めておいて、皿に取り、次に同じフライパンでニラを塩胡椒で焼いて、卵を戻していっしょに炒めた。
麻婆茄子丼。普通に麻婆茄子を作って、丼に載せた。
油揚げとズッキーニをバターとガーリックで炒めた。
焼き肉のタレで、炒めたウインナーと野菜(レンコン、大根、ニラ、ズッキーニ)。
茄子とウインナー、その他にチクワ、タマネギを入れたカレーライス。
毎日、雨が降り続いているが、時々、小降りになったり、止んだりする。そんな隙間、散歩に出る。昨日、街中を歩いていたら、頭上から、ビービーとうるさい声が聞こえてきた。見上げて、カメラを構え、ズームで撮影したら、こんな鳥が撮れた。
模様から考えて、ヒヨドリだろうか、盛んに鳴いている。少し離れた電線には、別の鳥がいて、二羽の鳥が交信し合っているようで、交互に、少し音調を変えながら鳴いていた。まるで、恋の歌合戦でもしているようだった。
森の近くを通ると、また他の声が聞こえてくる。ウグイスだろうか、リズムよく歌っているような声が聞こえる。それから、昨日はセミの声もずっと聞こえた。ジーと途切れることなく森の奥の方から聞こえてくる。やはり、梅雨も残り数日なのだろうか。
森の中では、ウグイスもセミも、姿は見えないが、鳴き声だけは、盛んに聞こえてくる。蟬の声をうるさいと思う人もいるだろうが、やはり、こうした鳴き声に季節を感じながら、歩くのは散歩の楽しみの一つだ。
植物の世界には奇妙な形の花がたくさんあるものだ。見慣れない色や形の花を見ると、非日常的な美しさを感じる。
グーグルレンズによれば、この花、ブッドレア、フサフジウツギという花。先月も見ているが、今月は少し色が褪せているようだ。
それでも、まだまだ紫色が美しく輝いている。すべての命に、できるだけ長く輝いていてほしいと願う。