日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

椋鳥

 先日のことだが、帰宅した時、アパートの前の草むらに、鳥がいっぱい集まって賑やかに飛んだり、歩き回ったりしていた。しばらくの間、彼らの様子を眺めながら、写真を数枚撮った。


 帰ってから、図鑑で確認すると、鳥の名前は、椋鳥(ムクドリ)だ。「椋鳥」というと、鳥の名前だけでなく、田舎から都会に出て来た人をあざけって言う意味もあって、「おのぼりさん」と同義だそうだ。


 椋鳥は十数羽いたと思うが、あっちへ行ったりこっちへ来たり、歩き回るというより、駆けるように動き回りながら、餌を啄んでいた。この様子が「おのぼりさん」のイメージにつながるのだろうか。


 ところで、この鳥の名前の「椋」という漢字を見ると、大学生の時、所属していた部活のキャプテンで、「椋田」という名前の先輩がいたことを思い出す。その先輩、「おのぼりさん」ではなかったが、ひどく印象的な先輩だった。
 
 彼は大阪の人で、日曜日の練習中、昼が近づくと、「練習は終わりや!『新婚さん、いらっしゃい』を見なあかん!」というようなことを言った。ちょっと、うろ覚えの関西弁で、正確ではないが、とにかく、面白い人で、いつも人を楽しませてくれた。


母の日の夕食


 母の日の晩ご飯は母が好きな寿司を中心にした。
 寿司の素で作ったいなり寿司とちらし寿司、それに、自分で作ったタレで焼いた焼き鳥、それから、母が好きな大きめのワインだ。ワインは飲みたいだけ飲んでいいということにした。もう一つおまけに、ウインナーとポテトのガーリックバター焼きも作った。


最近の料理05/08


 相変わらず家で料理しているが、ほとんど同じものが続いているし、作ったものの写真があまり美味しそうに見えなかったので、しばらく料理を載せるのを遠慮していた。


 さて、上の写真だが、ドラッグストアで筍が安く売っていたので、買ってきて、だし汁、醤油、酒、砂糖、味醂で鶏肉といっしょに煮込んだものだ。筍料理を作った記憶があまりないし、食べることもないので、買った筍の入った袋に書いてあった方法で作った。


 まあ、美味しいと言えば美味しいけど、それほどありがたみを感じなかった。作り方を間違えたのかもしれない。筍料理もいいが、小松菜、ほうれん草など、野菜をできるだけ食べるようにしている。


 ところで、コロナ以前は家族と外で会食したり、友人と東京で会って、飲みに行ったりするようなことが年に数回はあったのだが、昨年3月以来、外で食べることがまったくなくなってしまった。それが、今に至るまで続いている。およそ15ヶ月、家で料理をし続けているのは記録的な長さだ。


 いったい、いつになったら、家族で会食したり、友人と会ったりできるのだろうか。緊急事態宣言を出したり、解除したりということをいつまでも繰返されるのだろうか。先が見えないトンネルの中にいるような、時間が止まってしまったような気がしてならない。


市販の調味料を使って作ったフイコーロー


堅焼そば、地方によっては皿うどんというようだ。


市販の調味料、黒酢餡かけの素を使って作った焼きそば


豚キムチ、豚肉、葱、タマネギを炒めて、キムチを入れた。


豚肉と大根、小松菜炒め

花壇の花-フウリンソウ


 近所を散歩していると、地元の人が育ててくれているのだろう、うれしいことに、あちこちに花壇があって、いろいろな花を目にすることができる。無知なぼくにとっては、目新しい花がいろいろとあって、これが散歩の楽しみになっている。


 母と二人一日平均6000歩ほど、歩いているが、散歩のたびに、明るい花、賑やかな花があると、母も、自分から立ち止まって、「きれい!これは何?」と時々聞いてくる。これはいっしょに歩くものにとってもうれしいことだ。


 上の写真は、家から歩いて数分のところにある花壇の写真だ。今の住所に十数年住んでいるのに、先日初めて確認した。ワイングラスか何かを思わせる形だが、グーグルレンズによると、フウリンソウ(カンパニュラ)という花らしい。風鈴という名の通り、初夏の花ということだ。


 ところで、グーグルレンズで調べると、だいたい、花の名前は出てくるが、それでも悩ましいものもある。例えば、下の写真、「アメリカナデシコ」と「セキチク」とが並んで出てくる。いろいろ調べてみるが、どうもはっきりしない。
 

思い出横丁!



昼の三時頃、仕事のついでに新宿に寄ってみた。
特に思い出横丁が気になったので、覗いてみた。
シャッターを下ろしている店も多かった。
狭いとおりを歩く人はほとんどいなかった。
開いている店には外国人が数人酒を飲んでいた。