日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

アジサイ、アガパンサス、シラン



いつもの散歩コースの途中にある公園で、きれいなシラン、並んだアガパンサス、それに、大きなアジサイがみんなで競演しているのを見付けた。花を育て、公園の花壇を整備している人たちに感謝したいと思った。



6月のハグロトンボ


 ハグロトンボがたくさん飛んでいた。

 過去のブログけら、「ハグロトンボ」で、検索したら、2017年9月にも写真を載せている。

 それ以後も数回発表しているが、みな8月だ。6月にこれだけのハグロトンボを目にするのは初めてだろう。
 たくさんいる彼らの中には、じっとしているのもいれば、羽根を広げて、パタパタとあちこち動き回るのもいる。
 人は、息絶え絶えだけど、彼らは、弱々しげに見えながらも、活発に生命活動をしている。


六月の花いろいろ(2)


 六月になって、かなりの枚数になる。これまで、発表していなかった花の写真を集めてみた。上の写真はネムノキだが、何とも言えないぼんやりとした姿をしている。
 花は自然界のもの、花丸のようなはっきりした形の花だけではない。不思議な形のものもいろいろある。それらの花が、夏に向けて競い合うように咲く様子は見る者を楽しませてくれる。


ハルシャギク


ウスベニアオイ


カラー


ムクゲ


ナスの花


サルビア・ガラニチカ


ランタナ(シチヘンゲ)


ノアザミ


ヒメヒオウギズイセン


ワスレグサ属(?)

気になる日本語「みたい」

 今日は朝から雨が降り続いている。母が「梅雨みたい!」と言う。


 この日本語、どこかおかしい。だが、どこがおかしいかというと、実は、十数年前まではよくわかっていなかった。外国人に日本語を教えるようになって、初めて気づいた日本語の問題だ。


 日本語学習者向けの練習問題に、こんな問題があった。


「冬なのに、今日は暖かくて(a.春らしい b.春みたい)です。」


 a、bのうち、どちらか選ばなければならない。母語話者なら、感覚的にはわかるだろう。ただ、説明するとなると、ちょっと難しい。


 答えから言うと、正解は(b)だ。この「春みたい」は、この問題文の場合、「春のようだ」と同じで、「春ではないが、春の特徴がある」という意味だ。(a)の「らしい」は「本当に春だと感じる(典型的な春)」という意味だ。


 3月前後の春、暖かい日に、「春らしい」といえば、間違いないが、他の季節、暖かい日は、「春みたい」となる。なお、この「みたい」には、この文の比喩のほかに例示や推量があることも付け加えておく。


 ちなみに、初冬の暖かい日のことを「小春日和」と言うが、これは「冬なのに、ちょっと春みたいな(のような)天気の日」ということだ。


 母は、雨が続くと、季節に関係なく、「梅雨みたい」と言う。梅雨以外なら正しいが、梅雨の時期なら、「梅雨らしい天気」というのが正解だ。こんなことばかり言っていると、母からは「言葉にうるさいんだから!」と、苦情を言われる。

 

 かつては、日本語を日常的に使いながら、日本語の使い方の細かい違いがよくわかっていなかった。外国人に教えるようになって、本当はわかっていなかったことがわかった。やっぱり、日本語は難しい。しかし、だからこそ、面白いものだと思う。

オカトラノオ


 いつも散歩している川辺の道に、花がない草だけの植物があって、「オカトラノオ」という名札がつけられていた。図鑑では調べてみると、面白い形をしている。だが、実際には、なかなか目にすることができなかった花だ。


 それが、先日、別の場所を歩いていて、ふいに見付けた。おもしろい。図鑑で見たとおりだった。グーグルレンズで調べても、間違いない。ユニークな形をしている。花序がやっぱり虎のしっぽのように見える。


 ところで、「虎の尾」と言えば、「虎の尾を踏む」という言葉を思い出す。極めて危険なことをするたとえだが、昨年から今年にかけて、マスクなしの三密状態で、どんちゃん騒ぎのパーティをするようなことがぴったりのような気がする。


 この花を踏んでも恐くはなさそうだが、この世には「虎の尾を踏む」ような危険はけっこうあるような、いや実際に何度か踏んでしまったことがあるように思う。くれぐれも気をつけなければならない。