日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

祈る!


 青空の下、散歩がてら、黄金の川崎大佛にお参りしてきた。青空に金色がキラキラと輝いていた。長い階段を上り、大仏様の足元まで行き、お賽銭を投じて、世界平和、コロナ退散、母の健康を祈ってきた。
 この大仏様の足元に辿り着くまで何段あったか、正確には数えていないが、上っている途中で、ふと、いちばん下の段から大まかに数えてみたら、百段と少しあるようだということに気づいた。それで、残りの段数を百八の煩悩を断ち切るつもりで上っていった。
 ところで、七日には、いよいよ緊急事態宣言が発出されるそうだ。感染拡大はこのところ、過去最高を記録し続けている。感染ルートは会食と家庭内でのものが多いらしい。
 誰かが言っていた。コロナなんか怖くない。自分は感染しても死なないだろうとか、自分は死んでもかまわないなどと言っていた。だが、自分が移されて、自分は死ななくても、誰かに移して、その人の命を奪いかねない。
 大切なことは、人に移されないこと、人に移さないことだ。そのためにも、今まで以上に警戒しなければならない。そして、もう一つ、できることは祈ることだ。みんなで感染を抑制し、みんなの祈りが通じることを願っている。


水に映った灯り


 毎朝、0度前後の日々が続いている。暦を見ると、5日は小寒だった。なるほど、寒いはずだ。ただし、小寒とは、寒さが少し厳しくなるころであり、20日の大寒からは、一年のうち、もっとも寒さが厳しい季節を迎える。
 コロナの感染拡大も止まらない。陽性率もさらに高くなっているそうだ。検査を受けていないため、陽性だとはわからない感染者が市中にたくさんいるということのようだ。
 ところで、来月3日は立春、12日は旧正月だ。中国、韓国、ベトナムなどでは、新暦より、旧暦の正月を大切にする。日本もかつてはそうだった。だから、年賀状に「初春」という言葉を使うのだが、本当の春は、やはり、旧正月を過ぎなければやってこない。
 コロナが流行する今、春の兆しが見え始める「立春」と「旧正月」がとても待ち遠しく感じられる。神社の境内にあった池に、ほんのり映った灯り、希望が灯っているようだった。見上げれば、竹藪が朝日に照らされて光っていた。


おせちと雑煮


 おせちや雑煮は毎年、ぼくが作っている。暮れになると、かまぼこや黒豆が高くなる。というか、安いのを高いのと入れ替えているのかもしれない。

 その点はよくわからないが、ぼくは、暮れが近づくと、賞味期限が1月の豆やチクワ等を買いだめしておいて、年が明けたら、自分で、おせちっぽいものを作っている。

 だが、そのことを忘れている母は、大晦日の31日、どうしてもスーパーへおせち料理を買いにいきたいと言うので何も言わず、ついていった。

 見る前からわかっていたが、いかにも不味そうなものが千円前後で売っていた。「こんな高いくてまずそうなのを買っても、ぼくは食べないよ。ぼくが安くて、美味しそうなのを作るから」と言って、何も買わずに連れて帰った。

 元日の早朝、初日の出を拝み、近所の神社に初詣をして、帰ってから、すぐ、雑煮と一重の簡単なおせちを作った。と言っても、数の子だとか、昆布だとか縁起物はほとんどなくて、おせちもどきではあるが、おいしければかまわない。

 結局、元日の朝のうちに全部食べてしまった。お雑煮は三日の朝まで、毎日少しずつ具や味を変えて作った。母が美味しいといって食べてくれた。年の初めのいちばん嬉しい出来事だ。


正月三箇日!


 大晦日から正月三日までずっといい天気だった。年が明けてから三日間は、毎朝、朝日を眺め、お雑煮を食べて、昼過ぎたら、日によって違う神社やお寺まで、お参りを兼ねて散歩した。夕方には、沈んでいく夕陽と沈んだ後の夕焼け空を眺めてから夕飯を作ってきた。


驚神社


琴平神社

夜明けの白い月と赤い富士山!


 この数日、徹夜するか朝早く起きるかという日が続いている。
 結果として、毎朝、東の太陽と西の月と富士山を拝んでいる。
 初日の出の太陽と二日の太陽とは大差ないが、朝日を浴びて、
 赤く染まった富士山は今までに見たことのない美しさだった。