日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

IT-時間泥棒

 昨夜はなかなか寝付けず、徹夜した。朝、太陽が出るころ、やっとで眠りに就いて、10時ごろ目が覚めた。昼過ぎ、メールやニュースを見ようとしたが、インターネットの調子が悪い。Wi-Fiの調子もよくない。つながっても、[接続しましたが、インターネットがありません]とメッセージが出る。


 何より、ムラゴンになかなか入れない。やっとでログインしても、記事を読もうとしたら、[このサイトは開けません]というようなメッセージが出たり、固まったりする。また、開いた記事の[ナイス]ボタンをクリックしても、反応がない。だんだん面倒になって、放りっぱなしにしていた。


 夕飯後、再び、チャレンジしたが、あまり大差ない。とりあえず入れたので、この記事を打っている。それにしても、何をするにも、時間がかかる。こんな日は、ネットに振り回されて、有限な人生の時間がデジタルに食われているような気がしてくる。


 思い出すのは、「時間泥棒」という言葉だ。たしか、ミュハエル-エンデのモモという作品に出てくる言葉だったと思う。インターネットはまるで、「時間泥棒」だ。貴重な人生の時間を堂々と盗んでいく。


金曜日!


 東京都と周囲の三県に緊急事態宣言が出された。1月8日から2月7日までということだが、ぼくは、週に一度の仕事が金曜日の朝にある。かつての花金(花の金曜日)が、菌(ウィルス)のせいで、魔金(魔の金曜日)になった。昨日の金曜日も太陽が出る前に家を出た。

 おかげで、元日以来、一週間ぶりに日の出前の東の空を見ることができた。赤い空と雲の織り成す朝焼けは美しかった。また、満員電車に乗るのは怖いものだが、緊急事態宣言が出たおかげか、それほど込んでなくて、座ることもできた。

 仕事が終わって、昼過ぎ、渋谷駅前に出てみると、緊急事態宣言で三県から東京へ出勤する人が減ったせいか、かつての賑わいはなく、そこそこの人混みだった。

 ところで、CORONAのせいで、世の中は全体的に活気がなくなった。個人的には、収入が減った。ちょっと困ったことではあるが、しかし、何かいいことはなかったかと聞かれたら、いくつかあった。

 まず、節約生活をして、寝酒をやめたこと、料理のレパートリーが増えたこと。次に、毎日のように、朝から晩まで、窓の外の空や雲を眺めたり、近所を散歩して、自然とよく親しんだりしたことだ。そして、電車やバスの中も町の中も、混雑がなくなり、どこもみな静かになったことだ。


bet or bed


 日本語の外来語はときどき紛らわしいと思うことがあるが、これはいただけない。敷きパッドの使い方に、「ベットOK!」というのは何なんだ?寝る所の意味の”bed”はベッド、ベットと言えば、"bet"になる。賭ける意味だ。


 外国人にとって、ベッド、ベット、ペット、ヘッドは紛らわしいが、商品にこんな日本語が記載されているのは何故?と思ったら中国製だった。日本語が話せる中国人が、間違えて覚えたまま使ったということだろうか。


 「キッド」と「きっと」も外国人は難しいという。「カード」「角、門」「カット」「華道」「加藤」も難しいようだ。外国人には、「加藤さんはカードで遊んでから、角にある床屋で髪をカットしてもらった。」などと言って教えたことがある。


 日本人も偉そうなことは言えない。日本人の話す英語にも似たようなことがある。勉強したはずの英語を話す時、「bus」と「bath」の区別ができていないことがある。また、「right」と「write」と「light」の違いは難しい。これも似たようなものだろう。


 中国語を覚える時にも似たようなことがあった。水餃子の意味の「水餃」と「睡覚」、「長城」と「長江」、「張さん」と「江さん」の区別は難しい。今ではまあまあだと自分では思っているが、怪しいものだ。こうした外国語の発音については、理屈ではなくて、耳と口で覚えるほかない。

祈る!


 青空の下、散歩がてら、黄金の川崎大佛にお参りしてきた。青空に金色がキラキラと輝いていた。長い階段を上り、大仏様の足元まで行き、お賽銭を投じて、世界平和、コロナ退散、母の健康を祈ってきた。
 この大仏様の足元に辿り着くまで何段あったか、正確には数えていないが、上っている途中で、ふと、いちばん下の段から大まかに数えてみたら、百段と少しあるようだということに気づいた。それで、残りの段数を百八の煩悩を断ち切るつもりで上っていった。
 ところで、七日には、いよいよ緊急事態宣言が発出されるそうだ。感染拡大はこのところ、過去最高を記録し続けている。感染ルートは会食と家庭内でのものが多いらしい。
 誰かが言っていた。コロナなんか怖くない。自分は感染しても死なないだろうとか、自分は死んでもかまわないなどと言っていた。だが、自分が移されて、自分は死ななくても、誰かに移して、その人の命を奪いかねない。
 大切なことは、人に移されないこと、人に移さないことだ。そのためにも、今まで以上に警戒しなければならない。そして、もう一つ、できることは祈ることだ。みんなで感染を抑制し、みんなの祈りが通じることを願っている。


水に映った灯り


 毎朝、0度前後の日々が続いている。暦を見ると、5日は小寒だった。なるほど、寒いはずだ。ただし、小寒とは、寒さが少し厳しくなるころであり、20日の大寒からは、一年のうち、もっとも寒さが厳しい季節を迎える。
 コロナの感染拡大も止まらない。陽性率もさらに高くなっているそうだ。検査を受けていないため、陽性だとはわからない感染者が市中にたくさんいるということのようだ。
 ところで、来月3日は立春、12日は旧正月だ。中国、韓国、ベトナムなどでは、新暦より、旧暦の正月を大切にする。日本もかつてはそうだった。だから、年賀状に「初春」という言葉を使うのだが、本当の春は、やはり、旧正月を過ぎなければやってこない。
 コロナが流行する今、春の兆しが見え始める「立春」と「旧正月」がとても待ち遠しく感じられる。神社の境内にあった池に、ほんのり映った灯り、希望が灯っているようだった。見上げれば、竹藪が朝日に照らされて光っていた。