日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

赤い葉


 8月25日、二十四節気で、処暑(7月23日~8月6日)。来月23日は秋分で、残暑は例年このころまで厳しいが、この数日、秋らしさを感じている。最も秋らしさを感じるのは朝晩の気温だ。扇風機もいらないほどだ。


 次は、昼の長さだ。特に日の入りに秋らしさを感じる。夏至の頃は7時ごろだったのが、今は6時20分ごろだ。夕方5時過ぎて散歩に出ると、一時間ほどで、急に暗くなる。


 それから、木々だ。桜の木に赤い葉が少し目立つようになっている。また、他にも、木々に実がなっている。虫たちの声もいい。日が暮れると、セミの声が静になり、虫の声がリンリンと響き始める。


 昨年来、コロナでほとんど外出しなくなったが、時々、散歩に出ては、小川の鴨や木の葉を見て、夏から秋へとグラデーションのように移り変わる季節を楽しんでいる。夏には夏の、秋には秋の楽しみがある。


八月のいろいろな花

 オミナエシ、万葉の昔から愛されてきた花だそうだ。漢字で書くと、「女郎花」。何か文学的な香りがする名前だ。
 秋の七草の一つ。秋の七草とは「萩の花、尾花、葛の花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝貌の花」ということだ。と言っても、草花については無知だ。どれがどれだか、よくわからない。
 ただ、花の写真を撮るのが好きで、ブログに発表するうちに覚えたものがいくつかある。この花は、ネットや図鑑で調べて確信したものだ。
 以下、八月に撮影した花で未発表のものを一気に載せた。名前を書いていないのは、名前がよくわからない花だ。また、上の「女郎花」も含めて、間違いもあるだろう。ご教授いただければ幸いだ。


アストロメリア


秋桜


鶏頭


初秋の満月


 22日、夕方5時頃、雲間に満月が浮かぶ空。
 23日は二十四節気で処暑。暑さが終わるという意味だが、まだ、日中は30度以上の真夏日が続いている。それでも、朝晩は少し過ごしやすくなった。

 少しずつだけど、秋の色が目立ち始めている。夕方にはツクツクボウシの鳴き声があちこちから聞こえる。夜には虫の声が聞こえる。

 来月の今頃は中秋の名月、秋彼岸であり、秋の真ん中。例年、秋彼岸までは残暑が厳しいが、その日まで、徐々に秋の気配が濃くなっていく。


料理の記録08/22/21


ちょっと立ち寄ったコンビニで茄子が売っていた。値段を見ると、スーパーより安い。

思わず買って帰ったものの、つい最近、麻婆茄子を作って食べたばかりだし、何の料理にしようかと考えていたら、テレビで、茄子農家の人が家族でバーベキューをしていて、自分で育てた美味しい茄子を豚肉といっしょにフライパンで焼いて、焼き肉のタレで味付けしていた。

これは簡単でいいと思って、我が家でもやってみたら、安い茄子でも十分美味しい。手間がかからず、美味しい料理だ。


豚キムチ丼


豚キムチ焼きそば


麻婆豆腐うどん


麻婆豆腐ライス


卵載せ焼きそば
まず、焼きそばを少し焦がす程度に焼いてから、料理酒をかけ、ほぐして、皿に取っておく。

次に、肉、または、ウインナーとキャベツ、ニンジン、ピーマンなどの野菜を炒めてから、やきそば麺を戻し、焼きそばソースで味付けをして皿に盛りつける。

その際、焼きそば麺を少しフライパンに残しておいて、その上に、鶏ガラスープ小さじ1を加えた溶き卵を入れて、薄焼き卵を作る。

できあがった薄焼き卵を焼きそばの上に載せて完成。


厚揚げ甘辛炒め

厚揚げを薄く切り、フライパンで焼いき、合わせ調味料(醤油大さじ1、味醂大さじ1、砂糖大さじ1/2、すり胡麻大さじ1、生姜チューブ2センチ)で味付けした。もう少し


ハンペンハンバーグ
ハンペンを袋に入れて潰し、片栗粉大さじ1、ツナ缶(油分もまるごと)をいっしょにして、ハンバーグ風にして焼いた。その他、桜エビだとか椎茸などを入れたら、もっと美味しく出来そうだ。

テレビと認知症

 ぼくはスポーツ全般が好きだ。特にサッカーが好きだが、なかなか見られない。忙しかった頃は、土日も働いていて、放送があっても、見られなかった。昨年からは、コロナのせいで、暇になったが、放送がほとんどなくて見られない。


 我が家のテレビはJ-COMという会社と契約している。チャンネルがたくさんあって、ドラマがいっぱい見られる。朝から晩まで、母の好きなドラマを予約して見ている。見たいサッカーやオリンピックの試合があっても、常にドラマが優先だ。


 我が家のテレビは母の認知症を遅らせるためにある。母は何度も同じドラマを見ている。ぼくは横にいて、いっしょに見ている。ぼくは台詞まで覚えてしまった。だが、母は同じドラマを初めてみるような目で楽しみながら見ている。


 テレビドラマを見ることで、認知症の進行が遅らせることができたら、それでいいのだが、このごろは、ドラマのタイトルを言っても、見たことがないということがある。ただ、時々、「この場面、覚えている」というのが唯一の救いだ。