今週は鍋料理ばかりだった。
湯豆腐、チーズカレー鍋、胡麻味噌鍋など、市販の鍋の素をいくつか試してみた。
どれもおいしかったが、いちばん母がおいしいといったのはチーズカレーだった。
鍋以外に作ったのは焼き鳥、焼きそばなど、いつもの料理だった。
胡麻味噌鍋
豚骨醤油鍋
焼き鳥
とり天
焼きそば
湯豆腐
今週は鍋料理ばかりだった。
湯豆腐、チーズカレー鍋、胡麻味噌鍋など、市販の鍋の素をいくつか試してみた。
どれもおいしかったが、いちばん母がおいしいといったのはチーズカレーだった。
鍋以外に作ったのは焼き鳥、焼きそばなど、いつもの料理だった。
胡麻味噌鍋
豚骨醤油鍋
焼き鳥
とり天
焼きそば
湯豆腐
毎年のことだが、11月は富士山がきれいに見える。今年も毎日のように、晴れの日が続いている。富士山の上だけ、雲がかかっていることが多いが、そんな富士山もいい。
思い出の中の富士山もいい。子供のころ、新幹線から見た富士山、高校生のころ、四階の教室から見た富士山、大学生のころ、富士吉田でアルバイトしている時に見た富士山等々。
最近、自宅から見える夕暮れ時の富士山も、近くの公園から見える富士山も、また、多摩川から見える富士山も相変わらず美しい。
コロナ禍で暇になり、どこか行きたいが、収入が減って、贅沢ができない。生活スタイルは大きく変わったが、富士山は、昔から変わっていない。
近くの公園から見える富士山
多摩川から見える富士山
散歩している時、木々を見ていると、
葉っぱは緑、赤、黄色、それに曖昧な色が存在している。
世界中のあらゆるものが混沌としているように思う、
天気も政治もそれ意外の何もかもがそうなのだ。
それだけではない。
男か女か、正か悪か、全体主義か民主主義か、
何もかもが混沌としている。
いったい何が正しいのかわからなくなっている。
季節はどうだ。
今は秋なのか冬なのか、
これさえもわかりにくい天気の日が続いている。
世界は混沌としている。
散歩途中見かけた道端の花壇、
いろいろな菊の花が咲いていた。
美しい菊の花もあった。
わざわざ探したわけでもない、
小さな発見が散歩の楽しみだ。
毎日のように落ち葉の散り敷く歩道を歩いている。
ある日は、水たまりに浮かんだ赤や黄色の葉っぱ、
ある日は、何層にも積もった色とりどりの葉っぱ、
最近、そうした変化が散歩の楽しみになっている。