短い春、早い夏、狂った季節。
ハナミズキはまだ咲いている。
冬はいつ終わったのか、
春はいつ来ていつ去ったのか、
何もかも忘れてしまった。
母は、今日、何日か、何曜日なのか、
春なのか、夏なのかもわからない。
時々、ぼくが誰なのかわからない。
季節は勝手に過ぎていく。
今はいつなのか、
ここはどこなのか、
そんなことはどうでもいい。
ただ、今という瞬間を生きていれば、
それだけでいいんだ。
短い春、早い夏、狂った季節。
ハナミズキはまだ咲いている。
冬はいつ終わったのか、
春はいつ来ていつ去ったのか、
何もかも忘れてしまった。
母は、今日、何日か、何曜日なのか、
春なのか、夏なのかもわからない。
時々、ぼくが誰なのかわからない。
季節は勝手に過ぎていく。
今はいつなのか、
ここはどこなのか、
そんなことはどうでもいい。
ただ、今という瞬間を生きていれば、
それだけでいいんだ。
公園の原っぱを散歩していたら、
ムクドリも散歩していた。
オレンジの嘴と足、
地面の虫か何かを啄んでいる。
似たようなものだ。
誰も彼も精いっぱい生きている。
暗い生も明るい生もある。
ともかく、ぼくは今、
平和な空の下で生きている。
何と幸せなことだ。
だけど、忘れてはならない。
製鉄所の地下で2ヶ月、
生きている人たちのことを。
※この投稿は、5/26午後3時に投稿したが、あとで、見ると、どこにも見つからない。仕方なく、打ち直した。そして、夜9時、「タイムライン」を見ると、同じタイトルのものが2つある。よくよく見ると、最初の投稿は、誤って、4/26午後3時2分、つまり、一ヶ月前の投稿になっていた。せっかく覗いてくれた読者に申し訳ないので、この間注釈を加えて残しておくことにした。
------------------------------------------------------------------------------------------
母はこの花を見ると、「ツツジがきれいだ」と言う。すぐに、「これはツツジじゃなくて、さつきだよ。正しい名前はサツキツツジなんだ。」と言う。まあ、どっちでもいいかもしれないけど、毎日のように、この会話を繰返している。
サツキとツツジの違いをネットで調べると、いろいろ書いてあるが、何より、咲く時期が違う。「ツツジ」は桜が散った後、四月から五月、「サツキ」は五月から六月だ。今ごろ満開になるのは間違いなくサツキだ。
ところで、昨日、近所のスーパーへ買い物に行った帰り、サツキを眺めながら、歩いていたら、サツキの赤い色の中に、ひらひらと動く黒い蝶を見付けた。カメラを持たないで出たので、そっと近づいて、スマホで撮影した。
写真をグーグルレンズで、調べると、「モンキアゲハ」と出た。近ごろ、モンシロチョウも見かけるが、小さくて、ヒラヒラと動き回るので、写真に撮るのが難しい。それに対して、このアゲハは大きくて、あまり動き回らないので、何枚も撮影できた。
一昨日、雨が降る中、川崎市の通称「アジサイ寺」に行ってきた。赤、白、ピンクのツツジが満開だった。
雨のせいか、混んでいるというほどではなかったが、知る人ぞ知ると言うことで、大きなカメラを構えている人も数人いた。
坂道を上る途中、掲示板があり、「一生懸命に咲きました」と書いてあった。人も一生懸命咲けばいい、一生懸命生きればいい。
花も、鳥も、虫もすべての生き物は一生懸命生きて、その生をはな咲かせばいいのだ。
人も含めたすべての生き物には多くの理不尽なことが起こるだろうが、それでも、その中で一生懸命生きるほかない。
先日の木曜日、横浜市都筑区にある「せせらぎ公園」に行ってきた。市営地下鉄ブルーライン仲町台駅を出て、徒歩5分ぐらいのところにある公園だ。
一年に何度か行っているが、いつ行ってもいいところだ。池に浮かぶ睡蓮、すいすい泳ぐ水鳥、水辺に佇むコサギ、どれもみな心を落ち着かせてくれる。
上の写真の鳥、ひどく小さくて、すぐ潜って、どこにいるのか見失う。子供の鴨なのかと思ったが、グーグルレンズで調べて、カイツブリだとわかった。
池のそばにあるベンチに座って、あたりをぼんやり眺めていた。人、花、鳥、水、何もかもが本当に穏やかだ。何故か涙が出そうになった。