日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

白い花


 6日には関東に台風が来ると予想されていたが、5日のうちに、台風は温帯低気圧になったようだ。
 
 それでも、土曜日までの真夏日は一気に梅雨らしい天気に戻り、ずっと、雨の日が続いている。


 気温は30度以下になって、少し過ごしやすくなったものの、雨のせいだろうか、蒸し暑さが増している。


 5日は結局、雨が降ったり止んだりの一日だった。夕方、小雨の中、近所を歩いて来た。アジサイをはじめ、あちこちで白い花が見られた。


 戻り梅雨、小雨の降る中、散歩し、道端に白い花を見て、何となく、鬱陶しい日々の中、微かに明るい未来を感じた。


 「人生塞翁が馬」。今が暗ければ、未来は明るいはずだ。今をじっと耐えていれば、何とかなる。そんなことをふと思った。


人生の停滞期


 停滞と言っていいのかどうか、よくわからないだが、しょっちゅう引っ越しをしてきた自分が、この十数年、神奈川県から移動していないのが、信じられない。
 2008年まで動き続けて来た。一定の地域に留まることなく動き続けた。一カ所に留まることがあっても6年以内。まるで、放浪を好むように移動し続けて来た。
 それが、ここ十数年、今いる場所から移動していない。神奈川県は過去最高の滞在期間だ。しかも、コロナ後はより狭い地域から動いていない。これほど動かない時期は人生の中でも珍しい。
 だが、これも人生、こんなこともあるのだと思っている、近所の自然を愛で、鳥や花を眺める、これも楽しいと思うようになってきた。ただ、将来、また、大きな変化があるに違いないとは思っている。


料理の記録22/07/04

〈餅巾着〉


 短い梅雨の後、真夏がやって来たと思ったら、日曜日からは、再び梅雨が戻ってきたかのようだ。


 これは、「戻り梅雨」というのだろうか。昨日も今日も雨が断続的に降っている。気温は30度以下で、普段通りの梅雨らしい天気だ。


 さて、料理の話だが、最近、油揚げの料理が増えている。先々週のピザ風油揚げチーズ焼きもそうだが、だいたい、ネットでレシピを探して料理をしている。


 上の写真は、「餅巾着」だ。油揚げに餅を詰めて、合わせ調味料(和風だし、醤油、酒、みりん、砂糖)で煮込んだものだ。


〈油揚げ餃子〉
 ひき肉、長ネギ、小麦粉を捏ねて種を作り、半分に切った油揚げに詰めて、フライパンで、両面焼き目がつくまで焼いてから、水を少し入れて、蓋をし、数分蒸し焼きにした。


〈大根の煮物〉
大根を縦半部にし、1センチ幅に切って、水、醤油、酒、みりん、砂糖、ごま油で煮込んだ。



〈豆腐の照り焼き〉

〈ラーメン〉


〈棒々鶏ソーメン〉

〈棒々鶏焼そば〉


〈納豆キムチ焼そば〉


〈鶏むね肉の海苔巻きチキンスティック〉
鶏むね肉をスティック上にき切って、ビニール袋に入れてから、マヨネーズ大1、酒大1、醤油小2、鶏ガラスープのもと小1、生姜チューブ小1/2、にんにくチューブ小1/2を加え、揉み込んで、しばらく放置。それから、のりを巻いて、トレーに並べ、片栗粉を振り掛けて、油を熱したフライパンで揚げ焼きにした。

真夏のエアコン



 6月24日の金曜日から9日間、ずっと晴れ続きで、最低気温は25度以上の熱帯夜、最高気温は30から36度で、真夏日または猛暑日だ。やはり、異常気象ということなのだろうか。

 

 外出するのは3日に1度、それも、日が陰る5時ごろ出掛けて、一時間で帰ってくるようにしているが、昨日は、ちょっと気分を変えて、気温が上がる前の午前中に、ATMまで金を下ろしに行った。


 10時半ごろ出たのだが、気温はすでに34度になっていた。ATMで金を下ろしてから、スーパーに寄り、涼みながら、少し買い物をした。ところが、魚や肉の売場を歩いていたら、腕に鳥肌が立ってきた。


 子供の頃から、エアコンが苦手だったのを思い出した。本屋で立ち読みするのが好きだったが、真夏はダメだ。どこであれ、エアコンの効きすぎた所は数分で、腹を壊してきた。そんな経験からか、今でもエアコンが嫌いだ。扇風機で十分だ。

夕方散歩


 コロナ禍前には「非日常」だったことが、今では「日常」になってしまった。


 2020年春までは、仕事が週に4、5日あった。仕事のない日はどこか母と遠くまで出かけていた。一日どこも出かけず、母と二人でいっしょにいることは滅多になかった。


 だが、そんな非日常の時間が少しずつ増えて、このごろではほぼ毎日になってしまった。毎日暑すぎるのも関係している。一週間に出かけるのは二日か三日、それも夕方の一時間だけだ。他の日は朝から晩まで母と二人で家にいる。これが日常になってしまった。


 それでも、これをよしとしなければならない。遠くにいる知人、友人に会いたいが、何故か戸惑ってしまう。結局、毎日、夕方の近所散歩で花や鳥を眺めながら、日々が過ぎていく。