今頃、近所で見かける草花!春や夏とは違って、華やかさはないが、それなりにかわいらしいものが多い。特にコスモスが素敵だ。まだ咲いている百日紅もいい。アジサイも枯れそうで、それなりに頑張っている。それにこれからはいろいろな実がなり始めるのだろう。そろそろ楽しみなのが、曼珠沙華、秋の彼岸の頃に咲く彼岸花だ。
月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど/大江千里
十五夜の月を中天に見ながら、昔、出会った人たちのことをいろいろと思い出している。今は音信のない女性たち、今何をしているのだろうか、
また、十五夜を愛でながら、いっしょに飲み屋を探した友人たち。
大きな月餅をくれた学生もいた。いろりろと思い出す。かつてあんなに仲良くした人たちなのに、今は連絡もない。
ぼくは友達までも断捨離してしまった。何となくもの悲しい気分になる。だけど、こんな気分はぼくだけのものではないだろう。
そんなことを思いながら、昨日、頂いた月餅を食べる中秋の名月だ。
日本の駅で見る案内板には日本語、英語、中国語、韓国語が書かれているところが多い。東京、神奈川のほとんどの駅で、こんなふうに表記されている。外国人、特に中国、韓国人には移動がとても便利だろうなと思う。
この間は電車内のアナウンスで、生の駅員の声で、DT15と英語で発音するのが聞こえた。ちょっと、日本人っぽい発音だったけど、それでも、外国人に対してすごく親切なんだと思った。渋谷では、英語、中国語、韓国語で構内放送していた。
中国にいた時、日本語での駅構内の放送を聞いたことも案内表記を見たこともなかった。韓国ではどうなのだろうか。おそらくないだろう。こんなのは日本だけだろう。
ぼくは、かつて、中国で反日デモが盛んな頃に中国へ渡った。家族が反対したが、実際は日本のニュースが一部分だけ切り取って、流していたに過ぎなかった。行ってみれば、反日デモをしている人たちはいても、それを冷ややかに見ている人のほうが多かった。
とはいえ、反日感情を持った人も多いらしく、あまり、日本人であることがばれないようにした方がいいということも言われた。日本人だと知られたら、何かひどいことをされるかもしれないというのだ。
だが、そんな心配はほとんど無駄だった。中国での思い出は今でも楽しいことしかない。日本での長い長い体験より、中国にいたほうがずっと楽しかった。親切で思いやりのある人にたくさん出会った。
今でも思うのは日本と韓国と中国はどこかでボタンの掛け違いをしているのではないだろうかということだ。正常化のためにはやはり、実際に出会い、話し合う事が必要なように思う。
何をどう作ったか忘れてしまったが、
それぞれ、それなりに美味しかった。
江ノ島シーキャンドルからの眺め。