数年前、小田原城に行って見た花筏が忘れられない。それが我が家から歩いて行ける池で見られたのはうれしいことだ。
同じく河辺を散歩中にも花筏は小さいながら見られた。毎年、晩春の風物詩として楽しみにしている。
散り残っているというべきか、遅れて咲いている桜も見られた。春の楽しみはまだまだ続きそうだ。季節は人間世界の苦悩とは無関係に推移している。
花笑う季節、いろいろな花が咲いている。八重桜が咲いている。
素敵な季節なんだけど、誰もが引きこもって生活をしている。
少しでもいいから近所を歩いて明るい花の便りを見付けたいと思っている。
今は仕事が何もないので、毎日夜更かししている。
起きるのは9時か10時頃だ。
ぼーっとした状態で、ブログを見たり、テレビを見たりしている。
そして、昼前後に起きてくる母のために昼ご飯を作って、食べる。
食事が済んだら、母を連れて散歩に出る。
帰って来たら、もう夕方だ。
いっしょに夕食を作り、いっしょにドラマを見る。
気がついたら、夜半を過ぎている。
それから、ブログを見たり、書いたりしている生活の連続だ。
花の笑う季節を、心から楽しみたいものだ。
籠口の池と白蛇伝説
近所を散歩していて、偶然発見した池に桜がまだまだ咲いていた。伝説もあるらしく、立て札があった。読んでみると、かなり古いものだ。
「籠口の池(ろうぐちのいけ)は、下麻生村の耕地をうるおす溜池であった。この池には二代将軍徳川秀忠の婦人お江与の方が亡くなった後に、白蛇に化身し、闇夜に水を飲みに来たという伝説がある。」
買い物を兼ねて散歩しながら、思いがけない発見が出来るというのは、忙しかった時には得られなかったものだ。
緊急事態宣言が出され、閉塞感の漂う中、昨日もいつものように買い物がてら、河辺を散歩した。いろいろな花が咲いていて、目を楽しませてくれた。夜には満月が見られて、少し明るい気分になった。
ただ、花を見ながら、心の中で、コロナウィルスに対する不安はある。「止まない雨はない」「明けない夜はない」などと言われるが、いつまで増え続けるのか、本当に終息するのか、何だか信じがたい気分になる。
ところで、政府は各世帯に二枚の布マスクを配るとかいうが、そういうのにお金を使うのはおかしなことだと思う。どこかの家庭には、数十枚、あるいは数百枚買いためている家もあるだろう。そんな家にマスクが届いてもうれしくはないだろう。それより、マスクが市場に出回るような政策が作れないのだろうか。
政府も都府県の知事たちもみな努力はしていると思うが、マスク配布より、医療崩壊対策、要請で休業している店舗への損失補填、仕事を亡くした人たちへの保証といった政策立案を急いでほしいと思う。
ツツジあちこちで花開き始めた。
季節は早回しで動き始めた。
だけど、人の動きは止まっている。
こんな春もあるのだ。
亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、
この異常を止める方法はないものかと思う。
ただ、ウィルスも人類が招いたのだろう。
異常気象とも関係しているのかもしれない。
世界は微妙におかしくなっている。
早く手を打たないと、
人類が滅亡してしまうかも知れない。
杞憂に終わることを祈る。