日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

変わらぬ日々!


 コロナ自粛以後、およそ半年の間、母と二人で、一週間に3回ぐらい買い物がてらの散歩に出ている。
 以前は5キロから6キロぐらい歩いて、遠いスーパーへも行ったが、母は、近頃、ますます足が弱くなって、遠いところへ行きたがらない。
 結局、近くのスーパーしか行かなくなった。二月頃まで二つあったスーパーが今は一つしかないので、この3週間ほど、毎回同じところへ行っている。
 目にするもの、カメラで撮るものはいつも、おなじ小川、カルガモ、セミ、樹木、花しかない。少しずつ変化しているのはわかる。それも一つの楽しみかなと思っている。
 母は半年間、電車に乗っていない。バスは二回ぐらいだ。ぼくは仕事と通院で、6回ほど乗っただろうか。行動範囲は狭い。広げたくても、毎日のニュースを見ていると、できない。



特別な夏!


 買い物に行く途中、街路樹から聞こえてくるセミの声はいろいろだ。ミーンミーン、ジージー、ワシワシ、まるで、蟬たちが自己主張をしているようだ。


 蟬時雨という言葉があるが、ぼくには時雨というより、セミの声に取り囲まれているように感じる。室内にいれば、左の耳の耳鳴りと外から聞こえてくるセミの声とでなんだかぐちゃぐちゃとした音になって聞こえてくる。


 今年の夏は特別な夏のようだ。未曾有の夏だ。いやいや、春だってそうだった。「さくらまつり」は中止になった。考えてみれば、今年はすべてが、人生初の出来事になるのだろう。特別な春、特別な梅雨、特別な夏、特別な秋、特別な冬になるのかもしれない。


 会いたい人に会えない。やりたい仕事もできない。友人に「誕生日おめでとう」とメッセージを送ったが、会って話せないのは辛い。いったい何時になったら、以前の平常な時に戻るのだろうか。あまり期待はできそうにない。


 東京都のコロナ感染者数は日に日に増えている。日本全体も過去最多を記録している。世界でも収まりそうにない。この際、何も期待せずに、ただ、じっと隠遁者のような生活を続けるほかないのだろうか。


秋来ぬと目にはさやかに見えねども!

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる (古今集-藤原敏行)


 歌の意味は、「秋が来たと目にははっきり見えないけれど、西風の音にやはり秋が来たのだと、はっと気づかされた。」というようなものだ。


 毎年のことだが、立秋の日になると、「秋立つ日に、詠める」とあるこの歌がふと思い出される。そして、確かに目には見えないが、真夏にはない秋の風を感じて、秋が来たなと思っていた。


 季節の移り変わりは、デジタルではない。冬の中頃から、春の兆しが感じられる。春真っ只中のころ、夏が徐々に始まり、真夏のなかに秋が感じられる。


 例年はそんなふうに季節が移り変わるのだけれど、今年の立秋の日、秋風は吹かず、いよいよ猛暑がやって来たという様子だ。しかも、今年初の猛暑日だった。季節の推移が混乱しているように思える。


 本当に釈然としない季節の移り変わりだ。七月は梅雨で曇天と雨天に覆われた。8月始めの6日までは真夏日、立秋の日の猛暑日。同時に、秋雨前線が日本を覆うという。


 異常気象だということは間違いないようだ。2020年はコロナ禍、オリンピックの延期、お祭り中止、その上に異常気象という歴史上特筆すべき一年になりそうだ。


 国家ファーストを唱える政治家、それに、自己中心的な政治家はそろそろ、舞台から姿を消してほしい。地球を、そして、人命や人権を守る政治家たちが世界を動かして欲しいと願うばかりだ。

8月7日

8月7日は二十四節気の中の立秋、
だが、今年初の猛暑日、
熱中症で倒れる人が多かった日、
それだけではない、
日本のコロナウィルス新規感染者が最も多い日、
ひどい一日だ。
これも特別な夏の一日。
特別な立秋なのだろう。
だけど、2020年は特別な春、特別な夏、特別な秋が来る。
世界は明らかに異常だ。
さて、次はどんな秋彼岸が来るのだろうか。
世界は終末期に向かっているのだろうか。
明るい未来が来ることを願う。

百日紅!


毎年見える赤い花
つるつるとした木肌
猿が上ろうとして滑る
その真っ赤な百日紅花
夏を彩る花