河辺を歩いていると、名前は知らないが、白と紫のかわいい花が咲いていた。
それにハグロトンボも見ることもできた。これがぼくの狭い行動範囲の中の自然だ。
少し寂しい気もするが、それでも、小さな自然に出会えることがうれしい。
秋は突然ノックもせずにやってきた。冬もまた突然やって来るのだろうか。
河辺を歩いていると、名前は知らないが、白と紫のかわいい花が咲いていた。
それにハグロトンボも見ることもできた。これがぼくの狭い行動範囲の中の自然だ。
少し寂しい気もするが、それでも、小さな自然に出会えることがうれしい。
秋は突然ノックもせずにやってきた。冬もまた突然やって来るのだろうか。
先週、行った無印良品、フロアすべてが無印良品の店になっていた。あちこちに「MUJI」の看板が見えた。
店内には本のコーナー、カフェ、レストラン、百円コーヒーのコーナーなどあり、それに、1曲100円で歌えるカラオケ「ハコカラ」などというのもあった。
フロア全体が、まるで、「MUJIの町」という感じになっていた。
もちろん、無印良品の衣類や家具もあり、ゆっくり歩きながら、服や家具を眺めて、椅子に座って、コーヒーを飲んだりできるのはおもしろい。
ただ、コロナ感染拡大防止のため、百円コーヒーは今、使えなくなっていた。
無印良品は以前、中国にいた時、香港の店に行ったことが何回かあるが、それ以来、ほとんど行ったことがないので、今、こんな風になっているのに驚かされた。
去年の今頃、予定表を書き込める手帳を買った。いろいろ書き込もうと思っていたが、2月から急に仕事が減り、3月からは予定が通院だけになってしまった。それから、春彼岸が過ぎて、夏も過ぎて、秋彼岸が過ぎた。
ふと、今年の残り日数を数えてみたら、ちょうど100日だ。まだ100日あるのだとも言えるが、無為に過ごしてきたことを思えば、やはり100日しかないのだという感覚のほうが強い。
ところで、このところ、二日に一回買い物兼散歩に出ている。昨日は曇り空で、今にも雨が降りそうな天気だったが、降られることなく、一時間ほど歩けた。道端の花を見付けては、カメラに収めて歩いた。どれも秋らしい花で美しい。
今日は朝から雨だったが、台風が逸れたようで、夕方には、雨は止んだ。気温は昨日から急に下がって、今日は涼しいというより寒い。そのせいか、昨日見た街路樹のモミジバフウの葉はすでに赤くなっていっていた。一気に秋が深まっているようだ。
ぼくはお寺や神社に行ったら、いつも、母の健康と世界の平和を祈っている。母は毎日、神棚と父の仏壇にぶつぶつと祈っている。母は言う。ぼくら子供の幸せを祈っていると。だが、何かが欠けている。
母は何十年もの間、毎晩、酔っぱらっている。時々、酔って転倒し、怪我をしている。自分の健康をまったく考えない母、子供の幸せをどれだけ祈っても、これでは、母の幸せもなければ、子の幸せもない。
ぼくは何度も言い方を変えて、母に言っている。「お母さんが幸せになることが子供の幸せなんだよ!」何度言っても効果のないことを繰り返し言っている。それでも、これしか方法がない。
「親思う心にまさる親心」(吉田松陰)というが、親が子供の幸せを願っていても、自分の命や健康を粗末にしていては意味がない。まず、自分を大切にしなければ、人を幸せにするなんて、無理なこと。母が自らの健康を害する姿は何とも悲しいことだ。
何を作ったか、ほとんど覚えていないが、最近始めたことは、一日の食材を1000円以内に収めるということだ。買って来たものをいつもチェックして、一週間、あるいは五日間、何を作るか考えている。
収入源の中、精いっぱいの抵抗だ。そのうち、しっかりとした家計簿を作ろうと思っている。何はともあれ、今、何をすべきかと言えば、家計簿なのだが、実を言うと、そんなものつけたことがない。
今、レシートをボックスに入れて、そのうち、計算しようと思っている。簡単で便利な家計簿アプリを探している。そんなふうに考えている間に、時間がどんどん過ぎていく。
料理をすることと家計簿、それらがぼくの身近なものになるなんて考えたことがなかった。特に家計簿は、大雑把な性格のぼくにはどうすればいいのか戸惑っている。