日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

落陽


 ニュースによると、コロナの第5波は終息したそうだ。ただ、第6波に対する警戒は必要だ。また、第6波はインフルエンザと同じようなものになると予想されている。インフルエンザの死者数は一年間3000人ほどだが、コロナもその程度になるということらしい。


 と言っても、インフルエンザとコロナは大違いだ。インフルエンザは冬場のもので、かかればすぐにわかるが、コロナは陽性であってもすぐには認識できない。それに、季節に関係なく、流行する。


 もう一つ不安なことがある。コロナの場合、ワクチンを打っていても、変異型ウイルスに対して、効果があるかどうかわからないという点だ。コロナはどんどん変異して、ワクチンの効果はないかもしれないということだ。


 世の中に、恐ろしいことはたくさんある。コロナもそうだが、最も恐ろしいのは人間だ。世界各地で大量殺戮が行われている。また、詐欺やいじめなど耳にする度に、人間は恐ろしいと思う。


 やりきれないそんな思いを慰めてくれるのは自然だ。草花や蝶、それに、鳥たち、それらを眺めているだけで、いらだつ心が何だか穏やかになる。特に夕暮れ時はいい。落陽の美しさに、ただ心癒やされている。

以前の生活に戻れるか?


 遠出をしない日々、目にするもので、心動かされるようなものは特にない。近所を散歩して、見慣れた花を見るばかりだ。


 コロナ禍の時代は、ぼくにとって、変化が乏しい。人との出会いも少なく、目新しいものを見ることもなければ、変化はあまり期待できない。変化があるとすれば、自分の意識だろうか。


 以前の生活は戻らないようだ。この時代に生きていくしかないのだと思い、ウィズコロナの世界に対応する以外に生き方はない。それも積極的にできれば、何の苦労もないはずだ。


 だが、人との接触が少なく、狭い世界に閉じ込められたような生活は、ぼくにとって、ひどく味気ない。そんな思いと関わりなく、セイタカアワダチソウが蔓延り始めた。これくらいの根性が必要なようだ。

アゲハ!


 毎日のように散歩をしているが、先日、公園を散歩していて、花壇の中にヒラヒラと飛んでいる黒い大きな蝶々を見付けた。花と花の間を行ったり来たりして、蜜を吸っていた。近づきたいが、近づくと逃げられそうなので、数メートル離れた場所から撮影した。


 カメラのレンズを向けて、移動する蝶々をカメラの枠内に捉えては拡大し、シャッターを押していると、トイレに行っていた母が、近づいて、「何をしているの?」と言う。思わず、口に人差し指を当てて、小声で「シーッ!黙ってて!」と言った。


 子供のころはこんな蝶々をいつも見ていたように思う。大人になってから見かけなくなったのは何故だろうか。自分が自然を見なくなったためだろうか。それはともかく、久しぶりに見た大きなアゲハチョウに感動を抑えきれず、何枚も写真を撮った。


 ただ、どの写真も、素人カメラマンが古いデジカメで撮ったピンボケ写真になってしまったのはちょっと残念だ。それでも、目にはちゃんと焼き付けておいた。遠出をしなくなった近頃の中で、心に残る光景だ。


急な秋


 11日は夏日、それも日中はほぼ真夏日の29度あまりだった。それが、12日は、いちばん暑い時で20度、4時頃になると19度ぐらいまで下がった。急にやってきた秋だの一日、母は朝から晩まで「寒い!」と言っていた。


 今年の三月下旬、気温が15度から20度に上がった日があったが、その日、母は一日中「暑い!」と言っていた。うちの母は、今、気温が何度かということは関係なく、急に上がった後の20度は「暑い」、急に下がった後の20度は「寒い」と感じるようだ。


 同じ温度でも、体の感じる暑さや寒さは相対的なものだということだが、母はその点、理屈抜きで正直なのだ。ただ、問題なのは「暑い」と「寒い」の間に「涼しい」と「あたたかい」がないことだ。


 昨日は一日雨だったが、少しは歩いたほうがいいと説得し、傘を差して散歩に出た。あちこちで濡れた葉っぱを写真に撮った。近頃、葉っぱを鑑賞するのもけっこう面白いと思うようになった。雨に濡れた葉っぱもいい。


セイタカアワダチソウ


 繁殖力の強いセイタカアワダチソウ、近所を歩いていて、ところどころで数本見かけるが、いっぱいに咲いているのはあまり見かけない。

 川沿いの道を少し遠くまで歩いて行き、探したら、川辺の土手で、あたり一面黄色くなっているのを見つけた。

 空は青空、夏日が続いているが、天気予報によれば、十月中旬あたりから、少し涼しくなるらしい。秋が深まるのはこれからだ。