日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

命日!

 父はその日、「行ってきます」と言って、会社へ出かけた。そして、昼前に、頭が痛いと言って、ソファに横たわり、そのまま意識を失って、病院へ搬送された。昼過ぎ、一旦意識を取り戻したが、その後、息を引き取ったという。死因は心筋梗塞だった。


 1980年2月22日、その時、ぼくは実家から遠く離れたところにいた。電話で「危篤」の知らせを受け、急いで実家へ戻ったが、親不孝を繰り返していたぼくはとうとう父の死に目に会えなかった。


 当時、ぼくは父に恩を感じていたものの、父のことがあまり好きではなかった。小学生のころ、学期末には通知表を持ち帰って親に見せていたが、優秀な兄と弟の通知表を見る父はいつもニコニコしていて、次男のぼくの通知表を見る父は、いつもむっつりしていた。あまり笑顔を見た記憶がないのだ。


 だが、この日を境にぼくの気持ちには少しずつ変化が起こりはじめた。そのきっかけを与えてくれたのは、まず、お通夜の時の出来事だ。父の会社の同僚が数人お通夜に参加してくれた。その人たちが言うには、父は、会社にいる時、いつも次男のこと、つまり、ぼくを心配していたというのだ。少し以外だった。


 また、お通夜の法事の時、和尚さんの説教が心に響いた。


 「お葬式は亡くなった人のためにするのではありません。残された人のためにするのです。」


 このことばは今も心に残っている。


 考えてみれば、父はすごい無口な人だった。兄が父に似ていてすごく無口だ。あまり無駄なことを言わない。無口な人の心の中はなかなか見えない。無口だからといって冷たい人とは言えないと思った時、少し気持ちに変化が起きた。その時から、父のことを考え始めた。父はどんな人だったのか知りたいと思うようになった。


 それ以後、父の生涯はどういうものだったのか、何を考えて生きてきたのか等、それまで考えたこともなかったことをいろいろ考えてきた。詳しくは省くが、とにかく数年かけて、いろいろ考えた。そして、思ったことは、父にはぼくたちに対する深い恩愛があったということ、そして、自分には父とある部分で非常に似ていること等々だ。亡くなってから、心配をかけたことを詫びる気持ちを抱き、父の気持ちを身近に感じるようになったのだ。やっぱり自分は親不孝だなとつくづく思う。

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