異文化!
ふと思うことがある。ぼくらが学校で習った英語はみなほとんど役に立たなかった。今ごろになって、ようやく役に立つ英語を身に着けたいと思い始めている。
かつての英語の先生はみな日本人で、酷い発音だった。本当に外国人と話しができるのかと疑っていた。そんな日本人教師がたくさんいた。文法の先生だけはすごかったが、それは英語というものについて、訳すことに重点を置いていたからだ。話すことはほとんど無視されていた。
理由は大学に合格することを目的にしていたからだ。教育が大学合格を目的にしているということに何か違和感を感じないだろうか。戦後の日本の教育の間違いがそこにあったということは間違いない。だが、どの学校でも進学を第一にしていた。保護者達の要請もある。学校の名前をあげるという目的もある。だが、その結果、戦後日本の英語教育はひどいものだった。
大学に入れても、英語が話せない。その他の今日かも同じだ。国語の読解が巧みになって、大学に入れても、文学はわからない。そんな大人を大量に出した教育は今なお続いている。その結果、先生たちもパンクした。つぶれる先生たちが大勢いる。
中国で日本語を教えていた時、日本人との会話がまったくできない中国人の日本語教師がいた。彼等はまさにかつての日本にいた、日本人英語教師たちだ。実は今日本に来ている中国人の多くが日本語能力試験に合格しているものの会話ができないという留学生が多い、これはかつての英語が喋れないけど、英検は合格しているという日本人と同じだ。
本当に大事なのは話すこと。どんな外国語でもその国の人と直に会って、その国の文化と風土を感じることがかなり大きいと思う。
ネイティブに直に接触し、異文化体験をすることこそが、世界に通用する人間になるために一番大事なことだ思う。学校の先生も少し考え方を変えて、何人、大学に合格するかを目標にするのはやめてほしいと思う。重視すべきはもっと異文化に肌で触れるような体験だと思う。