横浜の山下公園、青い空、青い海 右手に氷川丸と横浜ベイブリッジ 左手に大桟橋、向こうは大黒埠頭 波にふわりふらり揺れる黒い点々 おだやかに波間にただよう鴨の群 たわれる子どものように浮かんで まるで、たゆたうようにゆったり ゆるりゆめみるようにうかんでる
横浜市のブログ記事
横浜市(ムラゴンブログ全体)-
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先日のことだ。久しぶりに、横浜ミナトミライのランドマークタワーに上ってきた。エレベーターに上る前に、検温、消毒などを徹底して行っていた。エレベーターに乗ったのは、ぼくと母を含めて4人だけだった。 前回行ったのは確か三年前の元旦の朝、初日の出を見に行った時だったと思う。あの時は、人だらけで、初日... 続きをみる
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赤い実はきれいだけど、 きれいな紅葉はまだまだ。 緑黄赤と混在するモミジ。 人と同じで、これもいい。 いろいろな色があっていい。
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近くの公園で見付けた、紫色の実、図鑑によれば、コムラサキとある。 つやつやとして、気品のある色合いだ。 あたりには紅葉や黄葉が少しずつ鮮やかさを増してくる中、 この紫色の実も紅葉など以上に鮮やかさで目を引く色をしている。
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せせらぎ公園だけで三回に分けて書いてきたが、花も鳥と同じでやはり普段見かけないものが多かった。 見かけないだけでなく、名前のわからないものもあった。わかるのはセイタカアワダチソウ、鶏頭ぐらいだ。最後の写真はススキだ。 だが、これを投稿したあと、Googleレンズで調べたら、上の花は「タイワン... 続きをみる
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前回の記事に続いて、「せせらぎ公園」の記事だ。 この公園は横浜市都筑区にある。アクセスは横浜市営地下鉄ブルーラインの仲町台駅から徒歩で10分ほどだ。古民家園、蓮池、緑道などがあって、市民の憩いの場になっているようだ。 蓮池は、木々の緑、空の青、歩く人や写真を撮る人たちが水面に映っていて、陽光... 続きをみる
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澄み切った青空に電線の斜線 鳩たちは別の方向を見ている 街路樹のモミジバフウの伐採 白い雲は穏やかに流れて行く
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世の中、GO TOキャンペーンで旅行にいく人たちや食事に行く人たちで賑わっているようだが、我が家は相変わらず、引きこもり生活を続けている。 この間、少し足を伸ばしてバスと電車で移動したが、それでも、移動距離は10㎞にも満たない。出かけると言えば、やはり、隣町まで歩いていき、買い物をして帰るとい... 続きをみる
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春から遠出をしなくなり、自宅周辺を歩きながら 白木蓮、桜、藤、向日葵、秋櫻、彼岸花、金木犀 四季は巡り、地面は赤黄緑と賑やかな枯葉の絨毯 街路樹のモミジバフウが色鮮やかに染まってきた
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近所の公園の睡蓮の花が開いていた。 揺れる水面に浮かぶピンクの花、 まだ、ふっくらとした蕾の睡蓮もある。 これから翼を広げるように開くのだろう。 それにしても、神秘的なたたずまいだ。 何かの吉兆であれば、うれしい。
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買い物はせず、ただ近くのバラ園に行ってきた。赤、白、ピンクの花が咲いていた。ただ春バラと違って、賑やかさはない。だが、まだ蕾のものもあり、秋バラは、これからだという。清楚で美しい姿のバラの花と蕾は、今の陰鬱な世の中に明るい見通しを感じさせてくれた。
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暇に任せ、川辺の道を散歩して、 小川のカルガモを観察している。 毎日続く酷暑の空の青を映して、 小川の川面も青々と光っている。 親子連れが楽しげに泳いでいる。 一羽だけ離れた石の上に立って、 辺りを見張っているかのように、 左右に鋭い眼差しを配っている。
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小学校2年生、八歳の時、大の苦手だった音楽の授業を思いだした。 五線譜の音符記号たち、 初めてテストで零点の答案を受け取った。 いろいろな記号の意味を問う質問にすべてまったくわからず、白紙で出した。 最初で最後に見た零点だった。
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前回の続きだが、カルガモが川の中で休んでいる光景だ。 真っ昼間、こんな格好をして寝ているのかと少し驚いた。 実を言うと、この写真だけではない。 あちこちでこうして寝ている鴨を見た。 ふと思い出したのが、母の姿だ。 昼間、テレビドラマを見ながら、うとうとと寝ている姿。 眠いときは眠るに限る。
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横浜市を流れる一級河川、早渕川で見かけた鴨たち、絵になると思ってシャッターを押した。訳のわからない時代に生きていて、心癒やされる光景だ。彼らが何を考え、何を憂えているのかよくわからない。どんな生活があるのかもよく知らないが、こちらが勝手に癒やされているだけだ。
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散歩中、見付けた花、きれいな模様の花だった。ちょっと見かけないものだったので、家に帰ってから図鑑などで調べた。「カノコユリ(鹿の子百合)」だと思ったが、説明を見ると、何だかよくわからなくなる。 「カノコユリ、花は白、淡紅色。濃紅色で鹿の子絞りのような模様がある。九州に分布。」 広辞苑によると... 続きをみる
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夏の日に光り輝く街路樹のモミジバフウ 幹の表面は緑色の苔で黄緑に輝いている しわがれた黄緑色の樹肌のあちこちから 黄色い葉、可愛い葉、蛙の手のような葉 あちこちからそ小さな顔を覗かせている
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薄青い空に痛いけな赤い薔薇!
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久しぶりにあざみ野駅に行ったら、例年のように、改札口前の天井に、ツバメが巣を作っていて、みんなが見上げていた。 雛たちは親スズメが餌を運んでくるのを待っているようだった。 幼い命の成長というものはいつの世でも、そして、人でも他の動物でも楽しみなものだ。
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近くを散策、 カラフルな世界、 赤や黄色や紫、 初夏の色。
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毎日、天気、外出先、買い物、食事、風呂などをノートに記録しているが、この一週間は買い物を兼ねた散歩に3回外出している。歩いた距離はおよそ10キロだ。 一週間、ずっと天気もよくなかったこともあって、ほぼ引きこもりっぱなしの一週間だった。来週になれば、自粛は解除されるかもしれない。天気もよさそうだ... 続きをみる
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見ていると何となく笑顔になる花がある。癒やし系の花だ。憂鬱な心を慰めてくれる。
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静かな日曜日の通り 白い花に心引かれる 清々しい気分になる 静寂、静謐、清純で 明るくて汚れのない 成熟した大人の輝き
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紅葉の葉の赤と緑、鮮やかな色に魅せられる。 春は人の思いをよそに過ぎ去ろうとしている。 コロナ禍の死者の思いはいかばかりかと思う。 この閉塞感がどこまで続くのかわからないが、 まもなく色鮮やかな新緑の五月がやってくる。
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団地の中を歩くと、あちこちで見かける花がある。ハルジオン、小手毬、紫蘭等々。遠くの公園に行きたくなるが、我慢するしかない。
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ほとんど外出しない毎日だが、ちょっと買い物に出て、団地の中を歩くと、まだ花が咲いている桜の木もある。花びらが一つもない木もあれば、わずかに残っている木もある。桜にもいろいろあるのだと気づかされる。何となく、春の終わりが近いことを感じさせる光景だ。
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人間世界はウィルスによって慌ただしくなっている。 それに、経済も諸々の活動も停滞しているのだけど、 鳥鳴き、水流れ、花が咲き、自然世界は違うようだ。 季節は移り変わり、チューリップの花が咲き始めた。
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昨日6日の夕方、買い物して帰る時、公園でまだ咲いている桜を撮影しようとしていたら、花と花の間にほとんど丸くなった白い月が見えた。
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昨日のことだ。 買い物ついでに、川沿いの道を少し歩いていたら、 突風が吹いて、頭の上から、花びらが舞い落ちてきて、 まるで、シャワーを浴びているような気分になった。 川面には、桜の花びらが流れていて、 つい、流れに従って下流のほうまで歩いてしまった。
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買い物がてら、 団地の中を歩く。 桜はまだ咲いている。 だけど、 昨日の大雨に今日の強風で、 花びらも少し寂しい。 雨に風に外出自粛で、 桜もかわいそうだ。 それでも、 色とりどりの花が咲いて、 暗い心を励ましてくれるようだ。
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3月24日、東京へ行って以来、バスにも電車にも乗っていない。三日に一度程度、近所を散歩しながら、いろいろな花を眺めている。 昨日は団地の中の小さな公園を覗いてみたら、桜の花がほとんど散っていて、地面が桜色に染められていた。 他の公園も似たようなものだ。桜の花の名所を訪れることはせず、ただ近所... 続きをみる
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夜桜と行っても、どこかへ桜を見に行ったわけではない。2月に機種変更したスマホで近所の桜を撮ってみたら、けっこうきれいに撮れた。この桜の木は花がほとんど残っていないが、木の肌が美しい。
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外出自粛と言うことで、窓から、あるいは玄関を出たところの通路から見える桜の写真を撮ってみた。すぐ近くの山は薄桃色で染められていた。鳥たちのかまびすしい鳴き声も聞こえる。春は確かに来ている。ただ、感じるだけの心の準備がないように思う。
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桜散る小川の中の小鳥は 何かを探しているようだ
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昨日21日、春分の日の翌日のことだ。気温は急激に上がり、ソメイヨシノも五分咲きを通り越したようだ。公園では子供達がワイワイと騒いで遊んでいる。 同じ公園の中で、父親がノックをし、二人の子供達がボールをグラブですくい取り、ホームベースに投げる。それを母親がキャッチし、父親にトスする、そんな光景を... 続きをみる
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町中にある小さな川の小さな滝だ。 ここが、水鳥たちの生きる世界だ。 人には理解できない神聖な場所だ。 汚れてるのは川じゃなくて人間だ。
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白木蓮も辛夷もいいが、 高貴な色合いで、 しかも立派な姿の紫木蓮が好きだ。 散り際もいい。 人の生き様にもヒントを与えてくれる。 あるがままに精いっぱい羽根を広げて、 美しく、鮮やかに生きて、潔く散っていく。 そんなふうに生きたい。
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愛嬌のある顔して、 草の上で休んでいる鴨。 散歩中、鴨がいるかもと小川を覗く。 いつもは数種類の鴨が集団を作っているが、 この鴨はひとりぼっちだ。 寂しそうにも見えるが、 緑の上で穏やかに座っている。
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母は日に日にボケている。 近所のボケの花が開き始めている。 母の症状が重くならないことを祈りながら、花を愛でながら日々散歩している。 人生なんてこんなものだ。
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ソメイヨシノのつぼみが少しずつ膨らんでいる。 梅林の近くで地べたを歩き回っている鳥がいる。 嘴の色からして、椋鳥のようだ。 小鳥たちが木々の間を飛び回るのを見ていると、 何となくだが、いよいよ春が来たという気分になってくる。
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最近、これにはまっている。 基本のラタトゥイユ用ソース。 これで最近いくつか之料理を作ってきた。 基本は茄子とズッキーニなのだが、茄子とキュウリ、それに、エリンギや小松菜、すいとんまでも入れてみた。それなりに美味しい。 最近作った料理は鍋料理がほとんど、それにすいとんなるものを入れたりした。
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日本の上空には黒雲が広がっている。 発生源の中国は言うまでもない。 そして、アジアだけではない。 今や世界に広がりつつある。 世界の終焉が近づいている。 そう、地球という球体の上で、 パンデミックが発生している。 この危機を救うのは誰なんだろうか。
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落日はまぶしくて美しい。 その美しさの終わる時、 生命はいちばんの美しさを発揮する。 ぼくの生命はいつ尽きるのかわからないが、 沈む時にこそ、極めたい。 ぼくの生きた証しを。 沈む時はそれほど遠くない、 そんな落日が愛おしい。
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梅ヶ丘駅前の光景
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街の灯り 金曜日の夜、 日が暮れて、 多くの勤め人が東京から ベッドタウンに戻る。 駅の前の横丁に入ると、 桃源郷をさまようように、 人生を濃縮したような、 悲哀が漂っている。
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フイコーロー、豚肉と野菜を炒めて、豚肉のタレというのをかけて混ぜ合わせた。 具のない焼きそば 水餃子 挽き肉餡かけ焼きそば 白身魚フライ、これだけ入って300円しなかった。 豚肉のチャーハン 値下げしてあって、1パック140、二つ合わせて280円、カゴに入れた。
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夕暮れ時は何もかも美しい 夕焼け空はいうまでもない 冬の頃の満月が東の丘の上 枯れ木の向こうに顔を出す 丸くて大きくて明るい色の みかんのようなお月さんだ
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今夜の月の月齢は15.2、旧暦は1月16日。満月散歩に出た帰り、東の空に昇っていた。高いところに行かないと、木や電線がじゃまになる。家に帰って、7階から撮ると、丸くてきれいで、大きなオレンジ色の月が東の空に見えた。
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西勝寺の赤い梅!
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最寄り駅から歩いて5分ほどの所に梅林がある。以前はまだ咲いていなかったが、今日行くと、晴天の下、美しく香っていた。今日は午後からいろいろなところへ行って、梅を探し回った。撮った写真は百枚以上、整理するのに時間がかかった。他の場所の梅については明日紹介しようと思う。
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黒い雲の端に少し姿を見せている。 見たいものはなかなか見えない。 見たくないものはよく見える。 会いたい人にはなかなか会えない。 会いたくない人には何度も出会う。 美しいものは毎日見たいものだ。
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まっすぐに伸びた道、青空の下に広がる街を見ていると、少しだけど希望が見える。
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1月27日夕方、 気温は5度から0度近くまで下がってきた。 雨はまだ降っていなかったが、 今にも降りそうな空だった。 明日は雪になるというが、 果たして積もるだろうか。
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買い物途中、街路樹のモミジバフウを見上げると、ほとんど、赤い葉っぱは残っていない。 だが、一本の木に、数枚残っていた。 木にも個性がある。みんな散り落ちても、自分は散り落ちないぞというような医師を感じた。 世間はみんな一つの方向を向いているのに一人違う方向見ているような気概が感じられた。
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桜の木の枝先。 今日は大寒だ。 だが、春の準備はすでに 始まっているようだ。 待ち遠しい春だ。
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東京都町田市にある駅を降りて、 川崎市、横浜市の市堺を、 ぐるぐる歩き回った時、 営農団地のそばで偶然見付けた観音様、 緑と枯れ木を背に、 田園風景を見守る姿に感激し、 手を合わせて、平和を祈った。
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