小林麻央さん死去!
乳がんと闘っていた小林麻央さんが亡くなったというニュースを見ていて思った。
この人は海老蔵さんにとって本当に素敵な人だったんだなと。
同時に、宮沢賢治の「英傑の朝」を思い出した。
小林麻央さんは癌におかされながらも人々のために生きたかったんだと。
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
今度生まれてきたら、自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる。
人のために苦しむような人生を歩みたいと願った宮沢賢治の妹と彼女が重なった。
永訣の朝、市川海老蔵さんは、悲しみの中で、きっと大きな力をもらったんだと思う。
「愛してる」と言って旅だったという。この一言に小林麻央さんのすごい生き方を感じた。
市川海老蔵さんは言った。「この人は人ではない。すごい人なんだと。」きっと、彼女の生きざまは多くの人にエネルギーを与えたことと思う。特に夫である海老蔵さんには、想像もつかないようなエネルギーを与えたことと思う。
今後、彼がどう生きていくか、そこに小林麻央さんの生きざまが影響を与えないはずはないと思う。素晴らしい歌舞伎役者になることを期待している。
けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……
…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう
わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ
この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
小林麻央さんのご冥福を祈ります。