「あっちでよかった!」
土砂崩れがあって、家がつぶされたというニュースを聞いたある人が、「自分の家の裏には山がなくてよかった!」とつぶやく。それを責める気持ちはないが、こう発言した人は自分でなくてよかったと考えていることに何か問題を感じる。
海外で発生した飛行機事故を、ニュースで報じる時、「日本人乗客はいない模様です」という言葉をよく聞く。やはり、国民の関心はその点にあるから、そう言うのだろうが、これを聞いた日本人の多くは安心して、他人事として見続ける。この点に、ここに違和感を感じるのだろう。
いじめ事件にしても、他人事だと考える。傍観者になる。地震があっても、それは傍観者であって、自分には関係ないと考える。これでいいのだろうか。相手の気持ちになって考えない。その結果、福島から非難してきた転校生をいじめるのだ。その時、周りにいる人たちの頭のなかには自分でなくてよかった。他人でよかったという気持ちだ。
昨日、復興大臣が、東京でなくてよかった。東京だったら大変だという意味で「あっちでよかった」と言ったそうだが、それも他人事と同じ気持ちがどこかにあるからだろう。被災者の気持ちを忘れた発言だ。被災者の気持になれば、けっして出てこない言葉だ。
孔子の一生を貫く言葉は「恕」だという。自分の心を相手の心と同じにする、いわゆる「思いやり」だ。人が苦労している時、「大変だね、何か手伝えることがある?」と聞く、相手がつかれているとき、「疲れているね。少し休んだら」というような言葉。被災者たちが苦しんでいるのを見て、「自分の住んでる町でなくてよかった」なんて言える人はそう多くはいないはず。まして、復興大臣がそんな発言をしたというのを聞いて、「この国はどうなっているんだ」と思わざるを得ない。