日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

立ち飲みの居酒屋!


 「居合い抜き」「立ち居振る舞い」などの「居」は普通「座る」という意味だ。「居待月」は「座って待つ月、陰暦18日の月のこと」。「居眠り」は「座ったり、腰かけたりしたまま眠ること」。「居直る」は本来、「座りなおして姿勢を正す」という意味だった。


 今日、歩いていて、「居酒屋」の看板を出している店の入り口に「立ち飲み」とあった。それを見て、ふと、違和感を感じた。ちょうど開店前で、店の中を覗けたが、見ると、椅子は見えず、本当に立ち飲みの店のようだった。


 「居酒屋」なのに座らなくてもいいのだろうか。立ち飲みは矛盾していないのだろうかと思って、いくつかの辞書を調べてみた。

店先で酒を飲ませる酒屋。また、安く酒を飲ませる店。(広辞苑)


安い料金で酒を飲ませる酒場。大衆酒場。古くは店先で酒を飲ませる酒屋を言った。(明鏡国語辞典)

 

(昔、酒屋の店先で飲む酒を『居酒』といったことから)店内にテーブル席、小座敷などを用意し、酒と食べ物を出す店。酒は日本酒を主に、ビール、焼酎など。食べ物はつまみ程度からかなり凝った料理まで、店によりいろいろ。店先に赤ちょうちんを下げたり、入り口に縄のれんをかけたりしたので、別名「赤ちょうちん」「縄のれん」ともいう。大衆向けの安価な店が多い。洋酒を飲ませる店は「バー」、ビールを主に出す店は「ビアホール」という。(デジタル大辞泉)


 現代、「居る」はほとんど、「住む」「存在する」等で使われているが、デジタル大辞林によれば、「居る」は「本来、すわる、また、動くものが動かないでじっとしている意」とある。「居合い抜き」「居待月」などは、この「すわる」意味だ。だが、最近では、この「座る」意味が薄れている。例えば、「電車の中で立ったまま居眠りしてしまった。」等という表現があっても、違和感を感じない人の方が多いのではないだろうか。
 
 結局、居酒屋の「居」は「居る」のもう一つの意味、「移動するのをやめて、そこにとどまる」という程度の意味でしかないのだろう。あるいは、初めは「座る」の意味もあったかもしれないが、いつか間にか、単に「安い大衆酒場」の意味になってしまったのだろうか。


 ぼくは「立ち飲みの居酒屋」に違和感を覚えたのだが、今、どうなんだろうか?違和感を覚える人とそうでない人とどちらが多いのだろうか。

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