月見れば!
昨日の夕方、散歩の帰り道、十三夜の月を眺めながら、家路を急いだ。その時、ふと心に浮かんだ歌は大江千里のこの歌だった。
月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど[古今集]
月を見ていると、あれやこれやと際限なく悲しい気持ちになることだ。自分一人だけの秋ではないのだけれど。そう詠んだ大江千里の心境、わかるなあとしみじみ思いながら、歩いていた。
我ながら、本当に月を見るのが好きなんだなと思いながら、柄にもなく涙もろくもなることもある。だけど、なぜ,月が好きかと言うと、それだけではない。月を舞台にしたSF小説の影響もある。そして、何より阿倍仲麻呂の歌の影響が強い。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(古今集)
唐に派遣された阿倍仲麻呂が月を仰ぎながら、この月は故郷の月と同じ月なのだなあと感嘆する気持ちを思うと、思わず、我が身と比べてしまう。今、自分は故郷を遠く離れている。会いたい人は遠くにいる。中国にもいる。
いつも、この月は彼らが見ている月と同じ月なんだと阿倍仲麻呂と同じように思いながら、夜空の月を眺めている。阿倍仲麻呂の見た月も時間的な差はあっても、ぼくの見ている月とほとんど変わらないだろう。時間と空間を超えてみな同じ月を見ているのだ。
また、中学生のころだったか、夜遅くまで勉強していて少し疲れた時、ふと窓の外を見ると、不思議なくらいに明るかった。満月の夜だったのだ。あんなに明るく照らしてくれる。ちょうどSF小説に見せられていたころだったので、ついロマンティックな思い煮も誘われた。あの明るさは今も忘れられない。
月が好きな理由は、疲れた人の心を照らし、癒やしてくれるからだ。それに、もう一つ、このごろ意識するようになった理由がある。それは、人の心はいつの世も変わりやすいものだが、月は地上と人の心を普遍的に照らしてくれるということだ。