日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

梅の花!


 今日は仕事開始二日目、体調も少しよくなってきていたし、それに、今朝、通勤途中、二子玉川の駅から富士山もきれいに見えていたので、帰りに、大きな富士山を見たいと思い、少し高いところにある天空庭園というところにのぼってみた。残念ながら、富士山は霞んでいたが、きれいに咲いた梅の花が見られた。


 梅の花で、ふと思い出すことがある。奈良時代は、「花」といえば「梅の花」を指していたという。今は「花」と言えば「桜の花」だが、当時は違っていたということだ。


  人はいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける(古今集/紀貫之)


 (人の心は変わってしまうからよくわからないが、梅の花は昔から知っているこの土地で昔と変わらず素晴らしい香りに咲きにおっているよ!)


  梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ(古今集/読み人知らず)


 (梅の枝にやってきて鳴く鶯は、春を待ち望んで鳴いているけれど、今もまだ雪が降り続いているよ!)


 これらはどちらも梅の花だ。そして、もう一つ思うことがある。遣唐使などが盛んだった当時、梅は中国から移入されたものだということ、そして、「梅」は中国語で「mei3」いったん低く「ゥ」と発音し、「メイ」と少し抑さえてあげる発音だ。カタカナで表記すれば、「ゥメイ」というようになる。この「ウメ」という日本語の起源が中国語だと言う人はいないが、何だか中国人に、「これは何だ?」と聞いたら、「ゥメイ」という返事があって、日本語の「ウメ」ができたような気がする。似たようなことばに「ウマ」がある。これも中国人に「何だ?」と聞いたら、「ma3」という。カタカナで書けば、「ゥマ」だ。「ウマ」の語源を中国語だという人もいないが、ぼくにはこれも中国語が語源のような気がしてならない。


 話をもとに戻す。「花」の話に戻すと、西行法師の歌に有名な歌がある。


 願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ(続古今集/西行法師)


 (願いがかなうなら、花の満開の下で、春に死にたいものだ。その如月の満月のころに)


 ここでいう「如月」というのが旧暦2月のことで、今で言えば3月に相当する。この花は明らかに「桜」であろう。いつからか、「花」は桜になった。何かで読んだが、桜は中国文化とは関係なく、日本的なものだったが、遣唐使などに伝えられた梅が一時期、つまり奈良時代と平安時代の途中まで、「花」と言えば「梅の花」だった。そして、遣唐使を廃止した10世紀ごろから、「花」と言えば、「桜」が中心になっていったのだという。


 いずれにしても、立春のころ咲き誇る梅は春の花だ。旧暦一月一日は例年だと2月上旬だが、今年は1月28日に新しい年になる。その後、立春が来る。年が明けて春が立つ。かつて、元旦の年賀状に「新春の喜びを申し上げます」などというのに違和感を覚えていたが、旧暦で考えるとよくわかる。そして、梅の花の開花と新春を同時に喜んだ奈良・平安時代の人たちの浮きたつような心が何だかよくわかって、こちらまでウキウキしてくる。もうすぐ新春がきて、立春が来る。今年も梅の花を探しにどこへ行こうかと少し明るい気持ちになった。

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