日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

阪神・淡路大震災!

 平成7(1995)年1月17日朝、ぼくはいつもよりかなり早い時間に起きて、某高校のスキー修学旅行に引率者の一人として参加するため、駅へ向かった。集合場所に着いたのは6時少し前だった。大勢の黒い学生服の集団の前に、同僚の教師や旅行社の人たちが集まっていて、何か深刻な顔をしていた。何事かと聞いたら、神戸で大きな地震があって、新幹線が動いていないという。


 旅行社の提案で、結局、船で大阪へ向かうことになった。バスで移動し、港から乗船、まだ朝は明けていなかった。瀬戸内海を移動する間に次第に空が明るくなっていく。そのうち、神戸沖を通過する。船の北側を見ると、神戸の街が真っ赤に燃え上がっていた。この時には地震の詳細がある程度知られていた。ニュースによれば、この日午前5時46分ごろ、瀬戸内海を震源とするマグニチュード7の大地震が兵庫県南部で発生したということだった。神戸で燃えている火は、木造家屋が多いため、火災が広がったということだ。教師も学生も声も出さず、不安な表情で、その火事の様子をじっと見ていたのを今も覚えている。


 大阪に着いたら、またバスに乗り、長野県に向かった。車窓には次第に白銀の世界が広がり、みなそれぞれに感動し、わくわくしている様子だった。そして、スキー場に到着しいよいよ三泊四日の修学旅行が始まったが、誰もがこれからの数日間のことを思うと、楽しみであると同時に、おそらく、ぼくも含めて、心中、地震のことを思って、素直に喜べない気持ちだった。


 「阪神・淡路大震災」の被害はかなり大きく、死者は6434名、負傷者43,792名、避難者数ピーク時316,671名、全焼約7000棟だという。被害総額は10兆円を超えたそうだ。だが、さらに重要なことは都市直下型の地震であること。木造家屋が密集していたため火災が広がったこと。神戸を中心にしたライフラインが寸断されたことなどがあげられる。今後は東京で都市直下型地震が発生したらどうなるのかということも考えなければならない。


 今思い出すと、あれから、22年も過ぎたのだなと感慨深くなると同時に時の流れの速さに驚く。今年、成人式を迎えた人たちはこの大震災を知らない。事故も事件も人々の記憶から次第に風化していくものだが、災害は忘れたころにやってくるという。時代は刻々と変化していく中、信じられない出来事が次々と起こる。その中で、決して忘れてはならないことがある。


 今、ぼくは、当時のことを思い起こしながら、心から死者に黙とうを捧げ、被災者及び遺族たちの心身の回復を祈り、健康を祈る。

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