人生のハーフタイム!
病気もさることながら、以前から時折あった頭痛、腰痛などの頻度がだんだん多くなってきて、以前ほどには仕事ができない今、つくづく思うのは、健康だった時にしかできないことを、健康な時にしなかったという後悔。若い時にしかできないことを若い時にしなかったという後悔。それらばかりではない。何もかもみんな失って初めて分かるものだ。あと何年生きるのか、わからないが、その死ぬまでの時間、今より健康でいられるはずもなく、仕事量も今より多くできるはずもないという未来への不安もある。
人生途上と言ってもと言ってもいいが、これを「人生半ば」と言ったらどうだろうか。短い前半も後半も、また、長い前半も後半もある。後半がどのくらいあるかは誰にもわからない。だから、今を人生半ばととらえるのはどうだろうかと思った。100歳の人でも同様だ。そして、今をサッカーのハーフタイムのような時間と考える。そんな時に、前半戦はどうだったろうかと考える。これはおもしろいと自分勝手に思った。何歳でも構わないのだ。そして、ぼくは今、病気でしばらく仕事を休んでいる。そう、これがぼくのハーフタイムだと思って考えてみた。
すると、前半の試合への入り方、すなわち、志学の15歳のころから若干20歳まで、どうも誠心誠意物事に尽くしていなかった。そして20代は最悪だった。恋愛などにも失敗し、友人を死なせ、人生を見捨てたような生き方をしていた。而立のころからは取り返しのつかないと思われた劣勢を少しずつ挽回し始めた。しかし、基礎がないのに優秀な仕事などできない。不惑の年には何とかこれまでの劣勢を挽回できたように思ったものの、知命の年には再び失敗を繰り返す。
今年2月26日には50歳を迎える三浦知良選手が現役最長のJリーガーとして歴史的に名を残すことになった。そんなニュースを、少しうらやましく、また尊敬の気持で聞いた。彼の人生の前半戦はすばらしいものだ。後半戦はいつまでかわからないが、きっとすてきな後半戦を乗り切るに違いない。澤穂希も今サッカー選手としての前半戦を終えて、今後半戦をスタートさせた。
最近になって、次第に自分の運命が見えてきた。不安はある。すでに遅く、勝敗は決しているという感もある。だが、明日から、否、これから、後半戦開始のホイッスルが鳴るのだと思いながら、自分の今後をどう生きるかを考えたら、失敗を恐れず、できることを行い、少しでも「充実した生」というものに向けて努力を続けるほかはないだろう。そしてゲーム終了の笛を聞く時は満足できるようにしたいと思った。そしてそれは未来においても同じだ。絶えず、今をハーフタイムだと思いながら、これからを考える気持ちでいたいと思う。